Quantcast
Channel: とんとん・にっき
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2506

服部龍二の「日中国交正常化」を読んだ!

$
0
0

とんとん・にっき-hatu

「中国は、いま」に続いて、服部龍二著「日中国交正常化」(岩波新書:2011年12月20日再版)を読みました。「日中国交正常化」は、副題に「田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦」とあります。2011年度大佛次郎賞、アジア・太平洋賞特別賞、ダブル受賞作です。


14日に投開票された台湾総統選挙は、国民党の馬英九総統が野党・民進党の蔡英文主席や親民党の宋楚瑜主席を抑えて再選を決めました。「2008年の初当選以来、中台関係を大幅に改善させた馬氏の対中融和政策が信任を得た形となり、馬氏は経済を中心に中台の一層の緊密化を図るとみられる」と、ニュースは伝えています。

本の帯には、以下のようにあります。

1972年9月、戦後30年近く対立していた中国と国交が結ばれた。この国交正常化交渉は、その後も続く歴史認識、戦争賠償、台湾問題、尖閣諸島など、日中関係の論点が凝縮されていた。また冷戦下、アメリカとの関係維持に腐心しながら試みられたものだった。本書は、外交記録、インタビューなどからこの過程を掘り起こし、政治のリーダーシップに着目し、政治家、官僚たちの動きを精緻に追う。現代史を探る意欲作。

「あとがき」では、「1972年の日中国交正常化から40年が過ぎようとしている。現代日中関係の原型となる日中共同宣言の重みについては、いまさら多言を要さないであろう。その立役者たる田中角栄と大平正芳を主役とし、外務官僚たちを黒衣に配したのが本書にほかならない」と、服部は述べています。日中国交正常化に光をあてながら、「政治的リーダーシップの分析を試みたかった」、「田中や大平の人物像に迫ろうと努めた」、そして当時3、40代だった官僚たちはもう70、80代になっており、「いま話を聞かなければ貴重な証言が埋もれかねない」、「原文書が入手でき、かつ当事者に話を聞ける際どい時期だった」という。


「はしがき」をみると、以下のようにあります。

いつの時代であれ、日本にとって中国の存在は比類なく大きい。・・・その日中関係が1972(昭和47)年9月の国交正常化を画期とすることに異論はあるまい。田中角栄首相と大平正芳外相が9月25日に訪中して周恩来国務院総理らと渡り合い、29日に日中共同声明に調印したのである。5日間は、緊迫した首脳会談の連続だった。田中、大平、周たちの交渉には、日中関係の論点が凝縮されている。中国の賠償請求放棄、田中の「ご迷惑」スピーチに示される歴史認識、日中共同声明による台湾条項、そして尖閣諸島などである。田中と大平は、日米安保体制と日中関係を両立させつつ、断交後の台湾とも民間交流を続けようとした。


結局のところ、

日本側からすれば、サンフランシスコ体制の存続が日中国交正常化の前提であり、日中共同声明によって対米基軸や日米安保体制を変えてはいなかった。・・・日米安保体制に触れず、安保条約第6条の極東条項から台湾を除外しないことが、日本にとっては日中国交正常化の条件だった。いまだかつて日本政府は、極東条項から台湾が外れると表明したことはない。日本にとっての日中国交正常化は、従来からの対米基軸を確認する作業でもあった。


田中や大平と周恩来の丁々発止のやりとりは、綱渡りであり手に汗を握ります。それでもって、読み手を飽きさせない、そしてこの手の本としては非常に読み易いし、分かり易い。




Viewing all articles
Browse latest Browse all 2506

Trending Articles