講師の湯川豊が事情があって講演できない、代わって世田谷文学館館長の菅野昭正がピンチヒッターとして講演を行う、という事務局からの連絡があったのは、つい数日前のことでした。菅野昭正は、今回の連続講座「書物の達人 丸谷才一」の企画者でもあります。湯川豊さんは、喉の調子が悪くて声が出ないのだという。菅野は「豊さんのように豊かな話はできないかもしれない」と、まずは謙遜します。「ピンチヒッターですけど、三振だけはしたくない」と。
丸谷才一:略歴
小説家、文芸評論家、英文学翻訳家。1925年山形県生まれ。東京大学英文科卒業。日本の私小説的な文学を批判し、古今東西の文学についての深い教養を背景に、知的で軽妙な作品を書いた。「笹まくら」「年の残り」「たった一人の反乱」「裏声で歌へ君が代」「女ざかり」「輝く日の宮」などの小説の他に、「忠臣蔵とは何か」「文章読本」「新々百人一首」などの評論、随筆、ジョイスの「ユリシーズ」などの翻訳と幅広い分野で活躍した。書評を文芸の一つとして位置づけることにも取り組んだ。2011年文化勲章受章。2012年永眠。
菅野昭正:
1953年、私は大学を出て某大学の非常勤講師(フランス語)の職を得ました。そこに常勤講師として丸谷さんがいました。遊び友達で、よく麻雀を付き合わされました。その頃丸谷さんは、グレアム・グリーンを訳していました。英文科の篠田一士、西洋美術史の中山公男、丸谷の三人で「秩序」という季刊同人雑誌をつくっていました。丸谷と知り合って1年ぐらい経って、強制的に「君も『秩序』に入るべきだ」と、丸谷に言われます。
昭和30年頃のことです。丸谷は「エホバの顔を避けて」という小説を「秩序」に連載していました。連載のために「秩序」を出していた。「秩序」は建前としては年4回、季刊でしたが、年1回ぐらいしか出せなかった。先輩達から、季刊はうるう年と間違えているんじゃないか、と言われたりもしました。丸谷は1960年、「エホバの顔を避けて」を出版、記念会をしましたが、世間一般には知られなかったし、批評家も取り上げなかった。
これは旧約聖書のなかの「ヨナ書」を物語の基本にしています。「ヨナ書」はたった3ページぐらいしかありません。予言者は神の言葉を預かります。その頃、贋預言者がたくさんいました。預言者と名乗って、私腹を肥やした。エホバ=ヤークエ(ヘブライ語)、正しくは今はそう言いませんが。語り手=主人公ヨナに対する預言者たれ、とエホバが告げます。アッシリア王国(イラク北部)の首都ニネベを攻めよ、と。ヨナはその指名を与えられて、自分には責任が重すぎると思います。ヨナは「エホバの顔を避けて」逃れ行きます。これは聖書の中にある文章です。
ヨナは東の方へと逃げていきます。船に乗ります。神は大いに怒って嵐を起こします。「おおいなる魚」に呑み込まれます。3日3晩閉じ込められます。そして魚の口から吐き出されます。40日目にこの町は滅びます。悔い改めて、神の怒りを収めます。ヨナは怒りを覚え、町の端に小屋をつくり、町を見ます。神が植えた木(瓢・ひさご)は、一日経つと枯れてしまいます。物語の基本的な枠組みは、すべて「ヨナ書」のとおりです。「エホバの顔を避けて」は、丸谷の処女作です。
その前に丸谷はジェームス・ジョイスに入れあげていました。「若い芸術家の肖像」や「ユリシーズ」を訳しています。エリオットは「ユリシーズ 秩序 神話」を書き、丸谷が翻訳しています。その中でエリオットは、「神話を用いることで、現代と古代との間に持続的な神話を枠組みとしてつくれる」と書いています。ジョイスは、現代史という空虚と混乱に展望を秩序付け、言葉と手段を支える、としています。丸谷は「ああ、そうか」と言ってる間に、「ヨナ書」にあたったのではないでしょうか。
丸谷は声が大きい。井上光晴の声は避けたい、憲法違反だ。開高健も大きいが、都条例違反だ。丸谷はフォルテシモとピアニシモしかなく、大事なことを言う時には、小さな声になります。イスラエルのある町で靴屋をやっている一人の男が通って、「ニネベの町はどこか?」と聞きます。金10枚をやる、と。丸谷はこの男をヨナにしました。ヨナに神の声が聞こえました。小説家の工夫の一つ。古代のアッシリアの町の生活が分からないが、小説では町の生活が具体的に書かれていて、違和感なしに手に取るように読めます。その辺りに小説家の才能を感じます。
中公文庫「エホバの顔を避けて」より
エホバを恐れて旅立ち、大魚に呑み込まれた靴職人のヨナは、吐き出されて予言者となり、ニネベで町の滅亡を説く。無信仰な市民たち。王位をねらう策謀。騒然たる町に予言の日が近づいてくる。旧約聖書のヨナ書に題材をとる異色の作。
もう一つの工夫として、「恋愛話」を入れます。二重スパイ、そうして40日が過ぎます。町の人は悔い改めます。王様が出てきて、いずまいを正して神に祈ります。40日目、なにごともなく過ぎます。ヨナは贋予言者じゃないかと、追い立てられます。河原で対決します。石を投げつけられます。
資料について
資料は、上は「エホバの顔を避けて」の終章の部分です。末尾にある「東京 1959年8月」は、書き終えた日です。下は「ユリシーズ」の最後の章です。末尾に「トリエステ-チューリッヒ-パリ 1914-1921」とあります。「ユリシーズ」はダブリンを舞台にした、20世紀に開発された小説です。「考えるままに書いていく」「意識の流れ・内的独白」です。
神話を使って、なぜ現代小説を書いたのか。丸谷は徴兵制最後の世代です。この小説は戦争中の日本をあてつけています。ヨナは超越的な良心です。寓意によって書いています。松浦寿輝、私が教えた世代、は戦争のことを知らない世代ですが、新しく刊行されたものの解説を書いています。「ヨナ書」を神話に見立てて書いています。次の「笹まくら」とは、根底的につながっています。
徴兵制は、近代国家は常備軍を持つ必要があると、フランスが始めました。フランスは20年ぐらい前になくしました。日本は明治時代に始まります。貴族や長男は採られない。「代人」制があって、お金を払って代わりに行ってもらう制度があった。機能、漱石が本籍を北海道に移した話がありました。なぜ北海道か?北海道と沖縄は徴兵制がなかった。一種の矛盾です。漱石はそういう制度を利用した。
1972年、「たった一人の反乱」で丸谷の名が上がりました。主人公は丸谷と同じ45歳ぐらい、通産省のお役人です。高級官僚ですが、自衛隊に出向を命じられます。主人公は自衛隊に反対して、役所を辞めて、電気会社に就職します。再婚ですが、格好いいファッションモデルと結婚します。ゆかり夫人は亡くなった奥さんのベッドを使っていたことに対して反抗します。おばあさんは栃木の刑務所にいます。過激派の全共闘運動ばかりを撮っていたカメラマン。出所したおばあさんは機動隊に石を投げます。義理のお父さん、ゆかりのお父さんは、教授会に反対します。結局は反乱はあるけれども、空しく終わります。
「幸福論」を書いたアランは、「権力に反抗する市民」という本を書きます。市民たるもの、権力に対して批判の眼を持っていなければならない。それに通じるところがあると思いました。物語が面白くできているので、誰が読んでも面白く、分かり易く読める。この本で丸谷は、広く読者を獲得します。「裏声で歌え君が代」、陸軍にいたが画商になって台湾の独立運動にかかわります。国家と個人の関係です。でき具合は「たった一人の反乱」には及ばないと思う。
丸谷の小説の一つの特徴は、知的で素敵な女性が出てくる。男にしても、世間的なちゃんとした職業を持っています。「女ざかり」は、新聞社の女性論説委員が主人公です。映画にもなり、吉永小百合が主人公役でした。イギリスのフレイザーの未開社会の神話・呪術・信仰に関する書「金枝篇」や、折口信夫など民俗学、忠臣蔵や菅原道真なども出てきます。水子供養の民族的な団体に、政治家がかかわっていたことにより、問題が大きくなります。論説委員は大きな政党から叩かれます。女性は離婚経験のある政治家と恋愛していて、支援者がいません。
丸谷さんの一つの大きなテーマは、精神の自由、行動の自由、です。エホバはな由に行動しています。徴兵忌避は自由を求めることの裏側にある行為です。「たった一人の反乱」も、自由の意志で自由を生きるから、それで報いられます。それが大事なことです。「輝く日の宮」は、たいへん自由な国文学者の女性が主人公です。小説の方法の工夫としては、戦後の小説家として注意しなければならない。藤原定家、輝く日の宮があったという説と、なかったという説。
学会でのやり取り、論戦。主人公が中学生の時に書いた文章があります。今は心身の国文学者です。源氏物語の時代、藤原道長は、小説というのは謎がないとと言います。紫式部は「あ、そうか」と思います。丸谷の源氏論です。最後、水野会社の社長が結婚を断ります。目黒の先の自然公園を散歩します。関係があったとあります。これは必要なかったと、私は思います。大江健三郎さんも同意見です。
最後に申し上げたいことは、丸谷の小説には戦争が底流にあるということです。丸谷は、最後に4つの短編を書く予定でした。昭和20年8月15日の、ギューヅメの列車の中。その中に一人、「君は走る」、二人称で書いている、これも工夫でしょう。シュア中で女の子と知り合い、途中駅で二人で泊まります。それから10数年経ちます。旧制高校時代のなかまで文集をつくろうとします。友達の消息が書いてあります。丸谷の最後の戦争小説です。「エホバの顔を避けて」は、最初の戦争小説です。
新しい時代の風俗の中に、戦争を溶かし込んでいたのが丸谷の小説です。丸谷は生前、「精神風俗」ということを言っていました。2012年に生きている我々は、どう生きているか。丸谷が芥川賞を取った次の年、吉行淳之介と対談しています。そこで丸谷は、「イギリス風の風俗、精神風俗のような厚みのある小説を書きたいと思っている。グレアム・グリーンやジェームス・ジョイスがそうです」と言っています。こう言った時に、義之さんがどう言ったかは、興味のあるところです。
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菅野昭正編「知の巨匠 加藤周一」を読んだ!
2011年3月10日第1刷発行
編著:菅野昭正
発行所:株式会社岩波書店