ベルンハルト・シュリンクの短篇集「夏の嘘」を読みました。本の帯には、「朗読者」の著者による10年ぶりの短篇集、とあります。「朗読者」は世界各国でベストセラーになり、ケイト・ウィンスレット主演で映画化、「愛を読む人」という邦題で公開され、大ヒットしました。訳者の松永美穂によると、長編小説「週末」が映画化され、2013年4月から公開される、という。こちらも楽しみです。
ベルンハルト・シュリンク:略歴
1944年ドイツ生まれ。小説家、法律家。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、ボン大学、フランクフルト大学などで教鞭をとる。1987年、「ゼルプの裁き」(共著)で作家デビュー。1995年刊行の「朗読者」は世界的ベストセラーとなり2008年に映画化(邦題「愛を読む人」)された。他の作品に「帰郷者」(2006)、「週末」(2008)など。現在、ベルリンおよびニューヨークに在住。
さて、シュリンクの「逃げてゆく愛」に続いて2冊目の短篇集「夏の嘘」は、以下の7つの短編で構成されています。
・シーズンオフ
・バーデンバーデンの夜
・森のなかの家
・真夜中の他人
・最後の夏
・リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ
・南への旅
シュリンクと言えば、彼の作品にはドイツ現代史が色濃く反映していることで、よく知られています。訳者の松永美穂によれば、「朗読者」はナチ時代の犯罪に対して若い世代がどのように向き合うべきかを問うた作品であり、「週末」はドイツ赤軍派の元テロリストが恩赦で釈放されてからの3日間描いた作品でした。しかし、「夏の嘘」では、ドイツやナチ、ユダヤ人といった今までのシュリンク作品のテーマは影を潜め、男女や親子の間の葛藤、それに絡む多種多様な「嘘」と「真実」のあり方がテーマになり、作者がより普遍的で哲学的な物語を目指している印象を受けた、と述べています。
以下、短篇集「夏の嘘」の概要をまとめてみます。
・シーズンオフ
オーケストラのフルート奏者(ドイツ人)がシーズンオフに、海辺のリゾート地に滞在します。レストランで知り合った女性スーザン(アメリカ人)と恋に落ち、彼女との短い期間を彼女の家で暮らします。スーザンは金持ちに見えなかったが、富豪でした。彼は元のニューヨークの安アパートでの生活に戻るが、そこでの暮らしを自分が好いているのに気がつきます。が、しかし、古い生活を捨てて、スーザンとの新しい生活を始めることを決断します。
・バーデンバーデンの夜
ドイツ人の劇作家は、初めて書いた戯曲の初演の日に、テレーゼを連れてバーデンバーデンに行くことにしました。二人は高揚した気分でホテルに帰り、ベッドに入るが、互いに背を向けて眠りにつきます。なにも起こっていない、が良心がとがめます。彼には、7年前に知り合ったアムステルダムに住む恋人アンがいます。いまだにちゃんとした共同生活の形を整えるには至ってなかった。やがてアンが尋ねます。「バーデンバーデンには誰と行ってたの?」と。「あなたは嘘つきで、裏切り者だわ。自分だけ勝手なことをして」とアンは言います。
・森のなかの家
作家の夫婦、彼らは半年前に森の中の家に引っ越してきました。夫はドイツからアメリカにやってきた作家で、妻はアメリカン人作家です。二人が知り合って以来、彼女の作家としてのキャリアは上がる一方で、彼は下がる一方でした。彼ら二人の生活はどんどん細切れになっていきます。数日後に全米図書賞の発表がある日に、妻に連絡が届かないように、幸福な生活を守ろうと、車で引っ張って松の木を倒し、電話線を切ります。
・真夜中の他人
フランクフルトまでのフライト途中、隣り合わせた男が話しかけます。クエートの外交官補の招待を受け、ブロンドの美しい髪とスタイルの素晴らしい恋人と行った時に、恋人は誘拐されてしまいます。ドイツ大使夫妻は、ヨーロッパ女性の人身売買について語ってくれました。女性が同意したならいい暮らしが待っているし、身を任せようとしなければ、持ち主が次々と変わり、最後は売春宿で一生を終える、と。恋人を誘拐したのは、あの外交官補なのか。次々と出てくる彼の話は、あまりにも猪突過ぎます。本当なのか、嘘なのか・・・。
・最後の夏
もう25年も付き合いのあるニューヨーク大学から、来春のゼミナールに彼を招待してきたが、来春はニューヨークで教えることはないだろうと、老人は思っています。老人は終末期のガンを患っています。いよいよ痛みが我慢できなくなったら安楽死をしようと決意して、一族と親友を別荘に集めます。最後に人々と一緒に味わう幸福をうまく準備できたと彼は思っていました。それはまたしても付属物の幸福のための付属物を集めただけなのだろうかと、彼は自問します。
・リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ
父と一度もちゃんと話し合ったことがなく、父のことを何も知らない息子は、父と二人でバッハ・フェスティバルに行きます。そうすれば何か話が出来るかもしれない。だが、父はバッハを語ることしかしないのだ。父は勢いよくしゃべり、自分の知識の豊富さと、息子が注意深く聞いてくれることで気をよくしていました。父は、心の中を語ることはありません。自分と父のあいだに何もなかった。この「無」が彼を悲しくさせます。
・南への旅
施設で暮らす、死を意識し始めた老境の女性。突然自分の子どもたちを愛するのをやめます。子供たちはみな優秀で、非難すべきことがあったわけではありません。誕生日には子や孫たちみなが来てくれました。翌日、彼女は高熱が出て、病気になります。孫にエミリアは、献身的に介護し、看病します。「あなたと一緒に旅行できない?私が元気になるために」、エミリアは「どこへ行きたいの?」と聞きます。「南へ」。彼女は1940年代の終わりに、自分が大学に行き始めた町に行ってみたかったのです。孫のエミリアと南へ旅行。「けっしてやらないよりは、やった方がまし」という積極的な孫の仲介で、老女は、昔自分を捨てた(と思い込んでいた)恋人に会いに行きます。彼と会って話すうちに、彼女の方が彼を捨てた、という事実が分かってきました。
山田太一は「夏の嘘」について、以下のように書いています。
誰もが小さな、あるいは大きな隠し事を持って生きている。これは長篇小説「朗読者」のモチーフでもある。その著者シュリンクが、隠し事、嘘、秘密の世界が一筋縄ではいかないことをあの手この手で語り、楽しませてくれるのがこの短篇集である。ストーリーも人物も面白い。他愛ないエピソードも二転三転させて、大真面目な大テーマにしてしまう。それが理屈や通俗に堕とすことをまぬがれているのは、全篇の底に流れている不確かさ、不安のせいだと思う。あなどれない他者、どう変わるかもしれない自分。これは不足の人生の物語である。
(裏表紙より)
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