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地図散歩・横浜根岸編“外国人遊歩道をたどる”

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「地図散歩・横浜根岸編“外国人遊歩道をたどる”」

「ベアト幕末日本写真集」や「横浜実測図」などを拡げて、

幕末から明治に懸けて外国人が「ミシシッピー・ベイ(根岸湾)」の

美しい眺望を愉しみながら、遊歩した道を当時に思いを馳せて

歩きます。ガイドはもちろん、山岡光治さん(オフィス地図豆店主)。


日時:6月1日(土)11時集合

集合場所:JR石川町駅南口
散策コース:JR石川町南口→地蔵坂→根岸森林公園→不動坂上

        →不動瀧→七曲坂→アメリカ坂→本牧山頂公園

        →千代崎川(暗渠)→JR山手駅


外国人遊歩道

「緑と洋館の巡り道」の元になっているのが「外国人遊歩道」で、これは江戸幕府が外国人の為に作った道路である。当時日本に住む外国人達は攘夷をとなえる浪士の襲撃を受ける危険と背中合わせだったそんな矢先、生麦事件が起こりピクニックに行ったイギリス人が命を落とし英仏両国公使は幕府に、山手一帯に遊歩道を建設するように申し入れた。
この時かわされたのが「横浜居留地覚書」であり、その内訳はミシシッピーベイを廻る長さ4マイルから5マイル、幅20フィートの馬車道を作ることであった、その他には狭くなった墓地の拡張、食肉の処理場、疫病を防ぐ官設種痘病院、射撃場、競馬場も要求され競馬場は今の根岸森林公園の場所にあたるものである。この様にして外国人達は居留地周辺で身の危険を心配することなく生活するすべを得たのである。実際の建設はトワンテ山に駐留する英国の赤隊が指揮して一年で遊歩道は完成する。費用は幕府が捻出してものだが、幕府としては多大な賠償金を支払ったり、ことによっては戦争に発展することを考えれば安いものだったのかもしれない。本来の遊歩道の場所は山手下の元町を通って地蔵坂を上がり、根岸森林公園を抜け不動坂を下り海にそって本牧を廻り本牧から千代崎町そして桜道を通り地蔵坂へ戻るルートで坂の各所には石畳がしかれていた。

出典:「外国人遊歩道」

















以下、山岡さんからのメッセージです。


テーマは、「『外国人遊歩道』 をたどる」 だ。
その「外国人遊歩道」があった場所は、
横浜市中央区のパンフレットにある「緑と洋館の巡り道」 とほぼ同じルートで、
これは江戸幕府が幕末期に作った外国人のための専用道路である。
この道筋をベアトが撮影した当時の写真と1/5000の地図、
これと現在の地図とを参照し、さらに現地の風景を眺めて、
在留外国人が「ミシシッピーベイ(=根岸湾)」の美しい眺望を楽しんだのは
どのあたりだろうかなどと思い巡らしながらたどる。




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地図屋・山岡光治の話を訊く!


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