渋谷から特急で30分、近くなった横浜元町・中華街へ行ってきました。ちょっと曇り空、ただ単に「お昼」を食べに行っただけですが、けっこう歩きました。なぜか中華街は修学旅行生がやたらと目立ち、元町商店街ではオバサンの2~3人組が目立ちました。
「関帝廟」はもう何度行ったことか、その装飾は見事なもので、何度見ても素晴らしい。日本ではわずかに日光の陽明門があるのみで、これほどの装飾の多いものは他にはありません。
横浜関帝廟の今:以下、いただいたリーフレットによる
2011年鎮座150周年を迎えた横浜の関帝廟はいつも線香の香りが漂い、参拝の人が絶えることがありません。幕末のころ建てられた関帝廟は、1923年に関東大震災、45年に大空襲で焼失、86年には不審火で廟堂が罹災、と苦難の歴史を刻みます。そして90年、厚い信仰と人々の熱意により、横浜中華街のみならず日本国内外の寄付を仰いで現在の華麗な四代目関帝廟が姿を現しました。漢白玉石の欄干、青白石の雲龍御道石、ガラス細工の屋根飾り、「三国志」の物語を彫り込んだ観音石の柱、金箔彩色木彫などなど。中国の工匠が大陸・台湾からはせ参じて中国の伝統建築工芸の粋を駆使して建造しました。中国の民・清時代の南方の廟堂様式を持つこの廟は、困難を乗り越え中国文化を継承する、横花中華街の街づくりの象徴でもあります。2000年4月、神殿内のドーム型八角網組みの天井、および三国志の場面が彫られた青斗石の壁面彫刻が完成。三期十二年にわたる工事がここに完成しました。さらに2004年春節、廟域に華表が建てられました。龍などの彫刻を施した石造りの大柱・華表は、古来宮殿などに設けられ、王者の格と人の歩む道を指し示すシンボルです。
「元町仲通り地区街づくり協定」により、建物の形態や意匠についてさまざまな規制があります。例えば、「建物の高さ・壁面の位置」、「1階部分の壁面等の再後退」、「外壁のデザイン・材質・色」、「1階開口部の扱い」、「夜間照明」、等々です。今回、元町ショッピングストリートを歩いてみると、一番難しいと思われた1階部分の壁面後退が、ほとんど完了していました。歩道部分が拡幅されて歩きやすくなっていますが、元々は後退していなかったことを考えると、商店街の方々の気概と多大な努力が感じられ、素晴らしい商店街だと思いました。
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