たまたま家人が気を利かして「建築家のアスリートたち」という、BSで放映されていたものを撮っておいてくれました。30分ほどの短い番組で、建築家集団ネットワークの宣伝臭の強い番組でしたが、そこで取り上げられていた建築家が原広司で、懐かしく思いました。その番組は原さんが、自分の考えを自由に語るというもので、最近のプロジェクトが幾つか紹介されていました。その幾つかをここで紹介したいと思い、この記事を書いています。僕らが若い頃は、原広司はカリスマ建築家で、その一挙手一投足は若い建築家たちにとって憧れの的でした。
僕もその一人で、佐世保へ行った時にはアー手キュレーションを実践した「久田学園佐世保女子高等学校校」を観に行ったり、千葉へ行った時には有孔体を実践した「佐倉市立下志津小学校」を観に行ったりしました。初めて僕が原広司を知ったのは、たぶん磯崎新の「大分県立図書館」が新建築に載ったときの解説文だったと思います。その後、原の作品ができるたびに観に行きましたが、ここでは詳細は省きます。最初に読んだ原の単行本は「建築に何が可能か 建築と人間と」(学芸書林、1967年)、そして「空間〈機能から様相へ〉」(岩波書店、1987年)でした。そうそう、思い出しました。大江健三郎の故郷、「内子町立大瀬中学校」(1992年)もありました。
さて「建築家のアスリート」のなかで、原広司の最新プロジェクトが3つ取り上げられていました。一つは、中南米のインスタレーション、仮設住宅(実験住宅)です。ウルグアイのモンテビデオ、アルゼンチンのコルドバ、ボリビアのラパスでつくられました。設計はみんなの意見を聞いて原が行い、造るのは現地の学生と若い建築家たちです。背景として、中南米は家を持っていない人がたくさんいる。いわばホームレスです。その人たちのために、10年間にわたって断続的に行われてきたプロジェクトです。「ディスクリート(分散した、個別の、単独の)」、原はこの言葉に現代建築のあるべき姿を見出していました。これは集落調査から学んだ概念です。
次に、ベトナム・ハノイの「ハノイ市都市鉄道2号線駅舎」(現在進行中)と、愛媛県今治市の「今治市みなと再生事業」(現在進行中)で、模型を前に熱く語っていました。
最後に原が歩んでいく未来について語っていました。「自分の見えている未来というものは今後どうだというような預言的なことの作業というのは、これまで行ってきたんじゃないかと思っている。今まで言ってきたこと、それからやってきたことというのは、未来に対しても生き続けてくれるんじゃないかという期待を持っている。インターナショナルにいろいろ活動を始めている部分に関しては、なにかうまい終結方法を自分でとりたいと考えています」と。
「建築家のアスリートたち」BS11
岩波新書
1987年5月20日第1刷発行
著者:原広司
岩波新書
1988年1月20日第1刷発行
著者:大江健三郎
発行所:岩波書店
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