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練馬区立美術館で「牧野邦夫―写実の神髄―展」を観た!

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練馬区立美術館で「牧野邦夫―写実の神髄―展」を観てきました。僕は今まで、まったく知らなかった画家です。そして、チラシやポスターから、もっと若い世代の画家だと思っていましたが、なんと1925年、大正末の生まれだというので驚きました。


レンブラントへの憧れを生涯持ちつづけたこと、日記などにはレンブラントを超えたいと、至る所に書き込んでいました。また、自画像が異常なほどに多いこと、牧野の描く青年は、みんな自画像になっているようです。「ナルシスト」という言葉が浮かんできます。チラシには、伊藤若冲や葛飾北斎、河鍋暁斎といった画人たちの系譜に連なるとか、北方ルネサンス的なリアリズムと日本の土俗性との葛藤という点では、岸田劉生の後継とも見られると、書かれていました。


その辺の事情は僕には分かりませんが・・・。それにしても描かれたテーマは、例えば「海と戦さ」や「地獄変」のような、数十人もの人たちが乱舞する群像ものから、「武装する青年」や「自画像」のような肖像画、「南京のキリスト」、「雑草と小鳥」や「化粧する女」のようなやや筋肉質の裸体画、共通するのは「細密写実」を追求したこと。牧野の人生は、自己の信ずる絵画世界を追求し、写実の問題と格闘する日々でした。








牧野邦夫(1925-1986)略歴

1925年、現在の渋谷区幡ヶ谷の生まれ。幼少期を小田原で過ごす。幻想小説家の牧野信一は従兄にあたる。父母を早く亡くし、ゴッホやレンブラントに魅かれて画家を志す。東京美術学校油画科に学ぶが、1945年学徒出陣し九州宮崎で終戦。戦後の1948年、東京美術学校を卒業。写実的な人物画で知られるようになり、1962年と65年の安井賞候補新人展に入選。1966年、オランダを中心に滞欧。美術団体に属さず、数年毎の個展にのみ細密写実による作品を発表し続けた。


「牧野邦夫―写実の神髄―展」

牧野邦夫(1925~86年)は、大正末に東京に生まれ、1948年に東京美術学校油画科を卒業しますが、戦後の激動期に次々に起こった美術界の新たな潮流に流されることなく、まして団体に属して名利を求めることなどからは遠く身を置いて、ひたすら自己の信ずる絵画世界を追求し続けた画家です。高度な油彩の技術で、胸中に沸き起こる先鋭で濃密なイメージを描き続けた牧野の生涯は、描くという行為の根底に時代を超えて横たわる写実の問題と格闘する日々でした。レンブラントへの憧れを生涯持ち続けた牧野の視野には、一方で伊藤若冲や葛飾北斎、河鍋暁斎といった画人たちの系譜に連なるような、描くことへの強い執着が感じられます。また、北方ルネサンス的なリアリズムと日本の土俗性との葛藤という点では、岸田劉生の後継とも見られるでしょう。生前に数年間隔で個展を開くだけだった牧野の知名度は決して高いものではありませんでしたが、それは牧野が名声を求めることよりも、自分が納得できる作品を遺すことに全力を傾注した結果でしょう。本展は、1986年61歳で逝去した牧野の30余年にわたる画業から生み出された珠玉の作品約120点を紹介するものです。


「練馬区立美術館」ホームページ


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