根津神社名物のつつじ、以前書いたブログを読み直してみると「文京つつじまつり」なってましたが、今年いただいたパンフレットには「根津神社つつじまつり」となっていました。「文京区」のホームページを見ると、やはり「文京つつじまつり」となっていました。「第44回」は同じです。まあ、どちらでもいい話ですけど・・・。それはさておき、今朝の朝日新聞の「天声人語」(2013.4.20)には以下のようにありました。
いい頃合いと聞いて、東京と文京区の根津神社につつじを見に行った。境内の一角、2000坪のつつじ苑に実に100種類、3000株が咲き競っている。下から見上げたときはそれほどでもないが、丘に上がって全容を見下ろしてみると壮観である。早咲き、中咲き、遅咲きの別があり、場所によって見栄えが変化する。200円を寄進して苑内に入るのと入らないのとでは随分違うと納得した。
この記事を見たからというわけではなく、今日はいつもの仲間たちと「谷中街歩き」をする日だったので、少し早く出て、根津神社のつつじを見てきたというわけです。さて、上に載せた「江戸名所図会」に表された200年ほど前の境内図(部分)の解説があったので以下に載せておきます。
図中左上の辺りがつつじが岡です。社殿・楼門など7棟の建物は現在もそのまま残り、国の重要文化財に指定されています。図中央の池は弁天の池と呼ばれ、当時は馬蹄形をしており、今の池はその西半分に当たります。下の道路は現在の不忍通りで、根津駅交差点寄りに在った一の鳥居が描かれています。左下の交差している水路のある道は今の言問通りで、橋は藍染橋と呼ばれていました。皮とはしがなくなっても、昔を知る人は今の根津駅前交差点を「藍染橋」と呼んでいました。
根津神社の「重要文化財」に指定されている建物を、以下に載せておきます。
・楼門:宝永3年建立。江戸の神社の楼門で残っているのはここだけ。中のズイジンさんの向かって右側は昔、水戸の黄門さんだといわれていた。
・唐門:両妻側に唐破風のあるこの形式を平唐門という。
・西門:棟門という形式の門。2本脚のシンプルな形だが、構造上強度不足なため、その割に残っていない。
・社殿:宝永3年(1706)5代将軍徳川綱吉が奉納した権現造りの手本のような建物。お参りする時眼の前にあるのが「拝殿」、一番奥の一段高い建物が神さまのお住まいの「本殿」、両方をつなぐ中間の所を「弊殿」といい、この三つひと続きの形式を「権現造り」という。
・透塀(唐門東方、唐門西門間、西門北方):社殿の周囲をぐるりと囲んでいる塀。300年経つのに全長200m全然狂いがない。最近の調査で内側全体、地中8mの深さまで基礎工事がしてあることが判った。
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