松本竣介と同じように中村彝も好きな画家の一人で、展覧会があるたびに足を運んでいます。松本竣介と比べると、画家としてはやや一般的ではありませんが。松本竣介についてブログを書いた時に、知人から松本竣介のどこな好きなのか教えて欲しいと言われたのですが、答えることはできませんでした。中村彝についても同様な質問をされたら答えられません。好きなものは好きなんだから、では答えになっていないのはよく分かります。
たぶん、二人の作品を最初に観たのは、いつだったかは特定できませんが、神奈川県立近代美術館だったと思います。そしてこのブログに何度も登場した酒井忠康の「早世の天才画家 日本近代洋画の十二人」(中公新書:2009年4月25日発行)に、二人とも取り上げられています。中村彝37歳、松本竣介36歳、ともに夭折の画家です。中村彝の代表作は「エロシェンコ氏の像」(1920年)だと言うのは、大方の異論のないところでしょう。
酒井はこの作品を観て「わたしのことばでいえば、画家の内面的な光線のつよさを感じる」と述べています。彝の成長の中に、深い影を落としていたであろう旧水戸藩士の血脈が、多分に彝の倫理的な性格を形成させる因子となっていたのではないか、ともいい、そして「わたしは『エロシェンコ氏の像』との出会いの機会を反芻してみて、つくづく思うのは、これはもはや彝の自画像にほかならない」とまでいいます。
今回、鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」(1920年)が参考出品されていました。大正9年9月、中村彝と鶴田吾郎は、彝のアトリエで盲目のロシア人エロシェンコをモデルに競作しました。相馬黒光の回想記「黙移」(女性時代社:1936年)には次のように書かれています。「中村彝さんの画いた詩人らしいエロシェンコと、鶴田吾郎さんの画いた自我的で野性的なエロシェンコと、二つの肖像をならべて見る時、どちらも真実だと思います」と。
相馬黒光とは新宿中村屋の創業者相馬愛蔵の妻です。愛蔵と同郷である萩原守衛を中心とした芸術家や文学者などが中村屋に出入りし、サロン的な雰囲気が生まれ、黒光はサロンの女主人として若き芸術家や文化人と交流しました。明治44年からは彝を中村屋裏のアトリエに住まわせ、家族的な付き合いをし、食卓を囲むようになります。彝は絵のモデルをしてくれる、相馬家の娘・俊に好意を寄せて結婚を申し込みますが、黒光は彝の病気を理由に反対しました。彝はその痛手によって中村屋を去ることになりますが、彝が下落合のアトリエに移った後、相馬家との交流は復活しました。
中村彝 明治20~大正13年(1887~1924)
茨城県水戸市出身。幼くして父、続いて母を亡くし、11 歳のとき陸軍軍人の長兄を頼って上京。牛込原町など、現在の新宿区内に住み、愛日尋常高等小学校(現在の新宿区立愛日小学校)・早稲田中学校(現在の早稲田高等学校)で学ぶ。軍人を目指すが肺結核のため断念し、画家を志す。明治42 年(1909)文展に初入選。同44 年には「女」で三等賞を受賞、新宿中村屋の主人相馬愛蔵・黒光夫妻の好意で中村屋裏のアトリエに移る。しかし、絵のモデルとなった相馬家の長女俊子との恋愛を反対されたことから中村屋を離れ、大正5 年(1916)下落合にアトリエを新築。ここで亡くなるまで画業を続け、代表作を生み出した。大正13 年(1924)12 月24日肺結核により、37 歳で逝去。
参考出品
*大正9年9月、中村彝と鶴田吾郎は、彝のアトリエで盲目のロシア人エロシェンコをモデルに競作した。
*彝の没後、残されたアトリエは友人や弟子たちの手で守られ、後に鈴木誠の所有となった。鈴木誠もこのアトリエで多くの作品を生み出した。
「中村彝展 下落合の画室」
明治末期から大正時代にかけて活躍した洋画家、中村彝(つね)。彼は、新宿中村屋などの支援を受け、後に豊多摩郡落合村大字下落合(現・新宿区下落合3-5-7)にアトリエを構え、数々の作品を生み出した新宿にゆかりのある画家です。3月17日、下落合に残る彼のアトリエを建築当初の姿に復元整備し、新宿区立中村彝アトリエ記念館として開館します。これを記念して、新宿歴史博物館では特別展「中村彝展―下落合の画室―」を開催いたします。17歳で肺を患い、37歳という若さで亡くなるまで、彼の制作活動は常に病との闘いでもありました。しかしながら、その中でも彼の芸術にかけた情熱や、残した作品は、近代以降の洋画界に大きな影響を与えています。本展ではアトリエ周辺を描いた風景画7点の他、代表作など計30点をご紹介します。また、当時の写真や書簡などの関連資料もあわせて展示し、人間としての中村彝にも迫ります。
図録
発行日:2013年3月17日
発行:新宿区立新宿歴史博物館
編集:新宿区立新宿歴史博物館
「新宿区立中村彝アトリエ記念館」
平成25年3月17日オープン
中村彝が大正5年頃にこの場所に新築したアトリエを復元し、「新宿区立中村彝アトリエ記念館」としてオープンします。アトリエ内部や別棟の展示スペースでは、高解像度の映像やグラフィックパネルを用いて、彝の作品や生涯について紹介します。また、アトリエ南側には当時の植採や雰囲気をイメージした庭を整備しています。
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