ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」をTUTAYAで借りたDVDで(再び)観ました。再び、というのは、一度、公開と同時に観たことがあるからです。従って観たのはこのブログを書き始める以前、8年以上も前のことになります。
先日、「マレーナ」を再度観たときに、中公新書、岡田温司著「マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女」を読んだとして、岡田温司は「おわりに」の章で「生き続けるマグダラ」として三本の映画、メルギブソン監督の「パッション」(2004年)、ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」(2002年)、そしてジュゼッペ・トルナトーレ監督の「マレーナ」(2000年)の3本の映画を取り上げたということを書きました。そこで、「マグダレンの祈り」は、アイルランドの女子更正施設、マグダレン修道院での現代の悲惨な悔悛の話、マグダレンの名はマグダラからきている、と書きました。
ダブリン郊外にあるマグダレン修道院。ここに収容された人たちは、マグダラのマリアのように、自らの罪を悔悛するための生活を送ることを言い渡されます。どういう人が収容されているのか? 強姦された少女、未婚の母となった少女、人目を引く容姿が堕落を招くというだけで連れてこられた少女。厳格なカトリックの国、婚前交渉や堕胎、そして避妊すらつい最近まで認められていませんでした。宗教は人を救うためにあるのに、宗教そのものが罪であるとは、なんとも皮肉なことです。まさに過去の遺物のようなマグダレン修道院は、1996年まで存続していたというから驚きます。
マグダレン修道院に収容された淫らな罪深い彼女たちは、囚人服のような茶色の服を着せられ、一日中、過酷な洗濯をさせられています。私語はもちろん禁止、家族と会うことすら出来ない監禁生活です。なかには施設に閉じ込められたまま、一生を終える女性もいました。その掟を破ったら、容赦のない体罰です。みみず腫れになるほどムチで叩かれます。時には洗濯場で全裸で並ばせられ、乳房や陰毛の特徴を修道女たちに嘲笑の対象され、人間としての尊厳を踏みにじられます。慈悲深い修道女は、お金を貯めることに精を出します。何ともやり切れない世界です。
3人の主人公は、マグダレン修道院に同じ日に収容された少女たちです。美しい孤児のバーナデット(ノーラ=ジェーン・ヌーン)、いとこにレイプされたマーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)、赤ん坊と引き離された未婚の母ローズ(ドロシー・ダフィ)。それぞれが理不尽な理由で修道院に送り込まれます。クリスピーナ(アイリーン・ウォルシュ)は、姉に手を引かれて門まで会いに来たい息子に愛おしそうに視線を送ります。修道女は、裸で並ばせ、彼女たちの身体を笑いものにします。クリスピーナは濡れたパジャマを着てベッドに入り、死のうとしたり、高熱を出して首吊りを計ったりしました。
クリスピーナが大切にしていた聖クリストファーのメダルを拾ったバーナデットは、メダルを自分のポケットに入れてしまいます。ある日、マーガレットはフィッツロイ神父の部屋でクリスピーナが彼の股間に顔を埋めているのを目撃します。マーガレットはバーナデットがクリスピーナのメダルを隠し持っているのを見つけ、取っ組み合いの喧嘩になります。その行為を攻めるマーガレットにバーナデットは、「私たちには苦しみの人生しかないのに、彼女は苦しんでいないから」と平然と言い放ちます。
以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。
チェック:刑務所より苛酷なマグダレン修道院に収容された女性たちの悲劇を、実話に基づいて描いた衝撃作。2002年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞に輝いた。監督は『オーファンズ』でも評価の高かった俳優のピーター・ミュラン。主演は本作が映画初出演となったノーラ=ジェーン・ヌーンが迫力の演技を見せる。ほかにも修道女を演じたアイリーン・ウォルシュのあまりに純粋な心を持ちすぎたために破滅していく演技はリアルで真に迫っている。宗教というものの存在を根本から考えさせられる傑作。
ストーリー:結婚式のパーティは熱気にあふれ、招待客らは太鼓にあわせ踊っていた。その騒ぎにまぎれマーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)は従兄弟のケヴィン(ショーン・マクドナー)呼ばれ控え室に入った。そこでマーガレットはケヴィンにレイプされてしまう。
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