カバー画は、松本竣介の代表作「Y市の橋」(部分)、東京国立近代美術館蔵です。本の帯は、表面は「自由を愛した意志の画家、松本竣介生誕100年 戦中戦後、芸術へのひたむきな情熱」とあります。裏面は「戦争というのは絵描きにとって大きなテーマだからね。画家が本気で取り組まなければ後世に残る絵は出来ない。戦意高揚の目的だけではポスターになってしまう。絵画本来の美を持たなければ駄目だ」と本文から引用した文章があります。藤田嗣治、中村研一、宮本三郎ら有名画家が「戦争記録画」を描いたことが、時を経て今話題になっていることを、出版社側は意識しているのでしょう。
「シュンスケシス アソウ」――松本竣介さんが死んだ? 信じられない。たしかめると発信人は麻生三郎さんである。これは嘘とはちがう、事実だと思った。・・・昭和23年6月8日午後のことであった。この本の第1章は「享年36歳」で始まります。昭和18年は、日本画太平洋戦争に突入して2年目、戦争画展開催の報道が連日つづいて、膨大な観客が動員されました。川端画学校に通う中野淳は、先ごろ見た新人画会展と松本竣介の絵の印象を、数人の友人に告げてみたが、皆の反応は薄く、画家の名を知る者さえいなかったという。たまたま「その名の人、知ってるよ」という友人が一人いて、彼は松本竣介の住所をしるした紙片と紹介状を持ってきてくれた。下落合の松本竣介の表札を探しあてたのは、冬の日差しも傾いた日曜日の午後でした。こうして松本竣介と中野淳の交友が始まります。
「青い絵具の匂い 松本竣介と私」を読みました。初版発行が1999年8月18日、そして改版発行が2012年7月25日となっています。岩手県立美術館」開催された「生誕100年 松本竣介展」、神奈川県立近代美術館葉山でも開催され、現在、宮城県立美術館で開催されています。その後、島根県立美術館を巡回し、11月23日から1月23日までは世田谷美術館で開催されます。東日本大震災の影響で、一時は開催が危ぶまれていた展覧会でしたが、なんとか無事開催にこぎつけました。それに合わせてだと思われますが、「青い絵具の匂い 松本竣介と私」が改版発行されたことは、時宜を得たことだと思います。
朝日新聞読書欄、文庫紹介には、以下のようにあります。
今年生誕100年、残された作品はもちろん、時代を透徹した目で見据えた真摯な生きざまが今なお愛されてやまない画家・松本竣介。早すぎる園子までの数年、若き画学生として彼に身近に接した著者が、アトリエでの画業の様子や、生活者として魅力をつぶさにとらえた戦中・戦後史。(中公文庫・720円)
著者の中野淳は、1925年(大正14)年東京生まれ。洋画家。武蔵野美術大学名誉教授。川端画学校に学ぶ太平洋戦争中の43(昭和18)年、新人画会展で松本竣介の絵と出会い、その画室を訪う。戦後は自由美術会員、主体美術創立会員を経て94年、道志と新作家美術会結成し毎回出品。86年、70点の自選回顧展。東京、関西の美術館・画廊・百貨店で個展。日本秀作美術展、戦後日本のレアリズム展に招待出品。57年国際美術展(モスクワ)で受賞。93年小山敬三美術賞受賞。著書に「風景を描く」(美術出版社)、「中野淳画集」(アートよみうり)がある。
多くは本のタイトルが示しています。「青い絵具の匂い」は松本竣介が好んで使った青い絵具について、中野が画家だったからこそここまで深く書くことが出来たこと、もうひとつの「松本竣介と私」は松本と中野の公私共々長く深い家族ぐるみのつき合いについて書かれていること。つまり、中野でなければ、ここまで深く松本竣介のことを書き記すことが出来なかったのではないでしょうか。ある席で中野が松本竣介の回想を始めるというと、美術評論家の瀧悌三氏から「あなた自身のことを、半分は書きなさい」と、助言を受けたという。松本竣介に関する著作はすでに多数ある。敬服すべき労作も少なくない。「千篇一律」の譬えに堕ちるなとの戒めと理解し、そのように心がけたと、中野はいう。
また、松本を直接識っている人が少なくなった現在、いつの間にか抵抗の画家松本竣介の虚像が独り歩きしているのは気になることだとして、このエッセイでは晩年の松本の素顔、作品、周辺などを軸に自由な人間主義の画家を私なりに精一杯書いたという。
エピソードをあげればきりがありません。昭和23年10月、第12回自由美術展会場の一角に松本竣介の「遺作室」が設けられたという。美人画の伊東深水のような日本画家の姿を見かけて意外に思ったこと、黒っぽい地味なスーツの、小柄な初老の紳士が丁寧に観て回っているのを見て、「岡鹿之助だ」と誰かが囁いたこと。この展評を岡鹿之助が美術雑誌に詳細に書いていたこと。「松本君の友達ですか」と声をかけられたコールマン髭の英国紳士風の人が岡田謙三だったこと、等々。松本亡き後、麻生三郎との交流、池袋モンパルナスのひとつ、桜ヶ丘パルテノンのアトリエを訪れた話もあります。
もちろん、若き日に松本竣介の絵と人に出会い、誘発されたことは、画家人生の倖せであると、中野は述懐します。この本の中には、松本が言った言葉が要所要所にたくさん出てきます。そして最後に、少年の日から数多くの教示を受けたが、古稀を過ぎて、老いゆく中野の心の支えになっている松本の言葉を提出します。「絵描きはいつまでも、始めてパレットを持ったあの感激を、わすれてはいけないんだよ」と。
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