赤瀬川原平の「個人美術館の愉しみ」のときに、以下のように書きました。
赤瀬川原平の著作は、ずいぶん昔から、よく読んできました。ざっと思い出すままに上げると、「東京ミキサー計画ハイレッド・センター」、「超芸術トマソン」、「新解さんの謎」、「老人力」、「ルーブル美術館の楽しみ方」、「我が輩は施主である」、等々があります。尾辻克彦のペンネームで、「文學界」1980年12月号に発表された短編「父が消えた」で、1981年、第84回芥川賞を受賞します。藤森輝信、南伸坊らとの「路上観察学会」もよく知られており、藤森の建築を手伝う「縄文建築団」もあります。自邸の「ニラハウス」は藤森輝信の設計によるもの。山下裕二との「日本美術応援団」もあります。
赤瀬川原平の名画探検「フェルメールの眼」を読みました。というか、まずフェルメールの絵があり、それを1点1点解説した、いわゆる「フェルメール本」のハシリです。僕がこの本を“発見”したのは、どなたかの「フェルメール本」の参考文献のなかに、赤瀬川原平の名画探検「フェルメールの眼」が載っていたからです。本屋さんには売っていないので、ネットで古本として購入しました。それにしても1998年ですから、ずいぶん古い、いや早い「フェルメール本」です。読んでみると、この本ではフェルメール全36作品ですが、いま世の中に出回っているフェルメールに関する考察の、ほとんどが出揃っているのには驚かされました。
「フェルメールはカメラができる前の“写真家”である」という文章で、この本は始まります。なにしろ「筆の立つ雄弁なアーティスト」(宮下規久朗著「裏側からみた美術史」)と言われているぐらい、押しも押されぬ赤瀬川原平です。カメラのない時代に、フェルメールは真からの、カメラ以前の写真家だったのだと思う、としています。また「いまからみると、フェルメールのおこないは科学への接近だけど、もう一つの気持ちとしては神秘への接近である」と言います。
それにしても、この本のトップバッターはみんなが敬遠しているUFOのような「赤い帽子の娘」です。「何とも大胆な赤い横長の帽子。そして濡れた小さな赤い唇」。「自分にとって不可解であったフェルメールの絵の第一号」を、丁々発止、簡単に料理してしまいます。次が「恋文」です。召使いが後から見下ろしています。「ふ、ふ、やるじゃない」と、身分上、口に出しては言えないけど・・・。
そしてつい最近、新装版「赤瀬川原平が読み解く全作品 フェルメールの眼」が出ました。まったく同じものですが、新装版として、フェルメール年にあわせて刊行されたものです。
「赤瀬川原平の名画探検」
気持ちのいい絵、気になる画家の魅力を徹底解剖。好きだから面白い!
“わたくし流の楽しみ方”を提案する見て読んで楽しめる紙上美術館。
シリーズは、他に、
「ルソーの夢」
「印象派の水辺」
「広重ベスト百景」
があります。
「赤瀬川原平の名画探検」
フェルメールの眼
17世紀のオランダ絵画を代表するフェルメール。
謎を秘めた36点の作品すべてについて、
その静謐な美しさの秘密を探る。
発行日:1998年3月10日第1刷
2000年8月10日第5刷
著者:ヨハネス・フェルメール(画)
赤瀬川原平(文・構成)
発行所:講談社
ヨハネス・フェルメール(1632‐75)
オランダのデルフトに生まれ、43歳で同地に没す。21歳で結婚し画家組合に加入。30歳で理事となる(最年少での就任)。死後の遺産目録などの他は経歴不詳。19世紀半ばにフランスの美術批評家によって発掘され、ゴッホやプルースト、ダリなどに絶賛され、一般に知られるようになった。レンブラントを筆頭とする17世紀オランダ絵画を代表する画家として位置づけられている。現在確認されている作品は36点のみ。
赤瀬川原平
1937年、横浜生まれ。本名、赤瀬川克彦。画家、作家、路上観察家、エッセイスト、写真家など多彩な顔をもつ。武蔵野美術学校中退後、グループ「ネオ・ダダ」を結成、読売アンデパンダン展などで活躍。63年、千円札模型作品を発表し、後に裁判となる。高松次郎、中西夏之氏とハイレッド・センターを結成。79年、尾辻克彦の筆名で発表した『肌ざわり』が中央公論新人賞。81年には『父が消えた』で芥川賞、83年には『雪野』で野間文芸新人賞を受賞。一方、野球選手の名を冠した“トマソン物件”の紹介が話題を呼び、藤森輝信、南伸坊氏らと路上観察学会を始める。
[新装版]
「赤瀬川原平が読み解く全作品 フェルメールの眼」
[単行本(ソフトカバー)]
発行:2012年6月15日
著者:ヨハネス・フェルメール
著者:赤瀬川原平
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