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Channel: とんとん・にっき
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徳善義和の「マルティン・ルター―ことばに生きた改革者」を読んだ!

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とんとん・にっき-luther

徳善義和の「マルティン・ルター―ことばに生きた改革者」(岩波新書:2012年6月20日第1刷発行)を読みました。マルティン・ルターといえば「宗教改革」、ローマ・カトリックに反旗を翻し、プロテスタントを打ち立てた人、とまあ、これで合っているかどうかは別にして、誰もがその辺までは知っていても、具体的なことは何も知らないのが実情です。教科書に載っている程度の通り一遍のルター像をなぞっても仕方がありません。


僕の好きな西洋美術の分野では、例えば、池上英洋の「西洋美術史入門」を開いてみると、以下のようにあります。カトリック教会に疑問を呈する動きはそれまでに何度かあったのですが、ルターによる「95ヶ条の論題」(1517年)を契機として、プロテスタント勢力が決然とカトリックから離れていきました。もちろんこの裏には、教会が自動的に吸い上げる“10分の1税”の存在や、司教などの聖職をすべてローマが任命することに対する長年の不満がありました。こうしてヨーロッパは半分に割れてしまいました。カトリック側にとってみれば、半数の支配地域と人口を失うことを意味しましたから、そのダメージは深刻です。


つい先日、国立西洋美術館で「ベルリン国立美術館展」を観てきました。ドイツといえば、デューラーとクラーナハです。クラーナハの「マルティン・ルターの肖像」が出ていました。クラーナハはマルティン・ルターの熱心な賛同者で、宗教改革の時代にはヴィッテンベルクの市長も務めていました。ヴィッテンベルクの町には、ザクセン選帝候の居城の一つであるヴィッテンベルク城があります。この城の一角にあったのが、ルターの「95箇条の提題」で知られる城教会です。この本には、クラーナハ(クラナッハ)による「修道士姿のルター」や「説教するルター」を描いたものが挿絵的に出てきます。


マルティン・ルターのことを誰がどういう立場で書くのか、ということでは、この本を読んでみた後でわかったのですが、やはり徳善義和をおいて他にいません、いないのではないでしょうか。どう適任なのか。徳善は、若い日からルターの神学を学び、ルターの主要著作を翻訳してきました。「あとがき」にこうあります。「キリスト教とは何か、宗教改革とは何かを考えるとき、問われているものは、突き詰めれば、人間の問題である。そして、いまこの問題を考えるとき、現代の人間にとって『ことばの回復』が、緊急かつ究極の課題だと思っている」と。この本の副題には「ことばに生きた改革者」とあります。そして「目次」を見ると、序章から終章まで「ことば」という文字が氾濫しています。


序章  ことばに生きる

第1章 ことばとの出会い

第2章 ことばが動き始める

第3章 ことばが前進する

第4章 ことばが広がる

第5章 ことばを受けとめる

終章  ことばに生きた改革者


徳善義和は、1932年東京生まれ。1954年東京大学工学部卒業。1957年日本ルーテル神学校卒業。専攻:歴史神学(宗教改革)。現在:ルーテル学院大学、ルーテル神学校名誉教授。著書:「マルチン・ルター 生涯と信仰」「キリスト者の自由 訳と註解」(教文館)ほか。訳書:「ルター著作選集」(教文館、共訳)、「ルター著作集」(聖文舎、共訳)ほか。


本のカバー裏には、以下のようにあります。

ことばの真理を追い求め、聖書を読んで読みぬく。ひとりの若き修道士の飽くなき探求心が、キリスト教の世界を根底から変え、新しい時代への扉をひらいた。マルティン・ルター。宗教改革者。聖書のことばをひたむきに見つめ、ヨーロッパに中世と近代とを画す歴史の転機をもたらした生涯を描く。


宗教改革者のルターは、具体的に何をやったのか、「説教」です。実生活に即した説教が、ルターの成し遂げた神学研究上の一点突破を、民衆の信仰という生の全面展開へと発展させる実践の場となったのであると、徳善は言います。ルターは、「詩篇講義」を行い、講義の中で新しい神学を「十字架の神学」と呼びます。みじめで無残なイエスの姿こそ、神の恵みと認めることから始まる神学です。「ハイデルベルク討論」でルターは、神学的提題と哲学的提題の二つの提題を掲げます。こうした一連の主張は「神の愛は愛する対象を見出すのではなく、創造する。人間の愛はその愛する対象によって成立する」をもって総括されます。


これら二つの神学討論に挟まって、1517年に公にされた討論提題が「95箇条の提題」と呼ばれる、正確には「贖宥の効力を明らかにするための討論提題」です。これが全ヨーロッパにルターの名を知らしめ、のちに宗教改革と呼ばれる歴史上の大事件をもたらす引き金となったものです。たかだかB4ぐらいの紙一枚に過ぎない文書が、2週間ほどで全ヨーロッパを駆け巡り、大反響を巻き起こしました。


95箇条の提題によってルターは一躍「時の人」となる一方、「渦中の人」となっていきます。反対者たちからの非難と誹謗中傷、教皇庁からの圧力と脅迫、そして3つの重大事件が身に降りかかってきます。1518年のアウグスブルク審問、翌19年のライプツィヒ討論、そして1521年のウォルムズ喚問です。瀬戸際まで追い詰められたルターは、からくも3つの事件を乗り切ります。この辺の丁々発止のやりとりは、不躾ですが、なかなかスリリングです。


まだまだ事件は続きますが、それはこの本を読んでいただくとして、面白いのは、賛美歌です。「賛美歌はキリスト教の礼拝と切っても切れないものだが、教会に集まって人々が歌う賛美歌を始めたのがルターであると知る人は、必ずしも多くないようである」と、徳善義和はさりげなく言い、次のように述べています。


民衆運動としての宗教改革には二つの側面がある。ひとつは、聖書のメッセージを説教によって聴く、受動的な「ことばの運動」という側面である。もうひとつは、そのメッセージを受け止めて声を出して歌う、能動的な「歌ごえの運動」という側面である。どちらも、民衆の言葉であるドイツ語を取り入れた点で画期的なことであった。賛美歌は説教と両輪をなし、ルターの礼拝改革を支えていった。




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