Bunkamuraザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」を観てきました。ロシア美術を代表する画家イリヤ・レーピン(1844-1930)の回顧展で、トレチャコフ美術館所蔵の油彩57点、素描42点を展示する、日本で初めての本格的なレーピン展です。「トレチャコフ美術館」といえば、2009年4月から6月にかけてBunkamuraザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」という展覧会がありました。その時の展覧会の目玉は、イヴァン・クラムスコイの「忘れえぬ女」でした。
Bunkamuraザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」を観た!
その時にもレーピンの作品が何点か出ていました。書いたブログから拾ってみると、「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」「画家レーピンの息子、ユーリーの肖像」そして「レーピン夫人と子供たち『あぜ道にて』」がありましたが、図録を買ってないので、もっとあったのかもしれません。今回の展覧会では「画家レーピンの息子、ユーリーの肖像」は「少年ユーリー・レーピンの肖像」に、「レーピン夫人と子供たち『あぜ道にて』」は「あぜ道にて―畝を歩くヴェーレ・レーピナと子どもたち」に、タイトルが変わっていました。
そのブログで、1990年に笠間日動美術館で開催された「19世紀ロシア絵画展 レーピン、スーリコス、クラムスコイとその時代」の図録を持っていたことを書きましたが、どうして笠間まで観に行ったのかはわからないとその時に書きました。過去のスケジュール表を見直してみると、1990年6月16日と17日に川越と笠間に行き、笠間に宿泊したことがわかりました。たぶん、新しく建った笠間日動美術館の建築を観に行ったときのことでした。
「19世紀ロシア絵画展」では、トレチャコフ美術館とロシア美術館から油彩55点、素描36点が出品されていました。レーピンの作品はほとんどが肖像画ですが、6点が出ていました。今回の展覧会にも出されていたのは「せむし男」(今回の題名:「背の曲がった男」)、「マンチェルの肖像」(今回の題名:「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」)と「決闘」の3点でした。
日本橋・三越の店内を歩いていると家人の知り合いの人に声をかけられ、開催していた展覧会に入れてくれ、図録をたしか数冊いただきました。と、以前書いたことがありますが、その一冊、「ロシア・ソ連 ヒューマンリアリズム絵画の流れ 近代から現代へ ソ連美術史概説」(月光荘ギャラリー:1972年7月初版)をパラパラと読んでみました。55点のソビエト絵画が紹介されていて、編集・制作・文責として中村曜子の名があります。
その中でレーピンの作品が3点取り上げられていて、簡単な解説がなされていました。その3点とは、「イワン雷帝とその息子(部分)」(トレチャコフ美術館)、「ボルガの曳舟人」(ロシア美術館)、「不意の訪れ」(トレチャコフ)美術館です。そこには以下のように解説があります。
反動による沈滞期に入った80年代ロシア社会では、ブルジョア・リベラリストに以降する一方、社会主義デモクラシーが胎動を始めていた。ナロードニキの破滅と反動期の到来を受けて、ロシア美術は新たな問題に直面した。70年代の移動展覧画派が社会理想を求める中で、人民の無力さを嘆き悲しむ人間に関心の焦点を合わせたのに対し、80年代の同派の画家たちは人民それ自身に注目した。
80年代がレーピンの才能の絶頂期である。彼はそれ以前、美術大学時代の傑作「ボルガの曳舟人」(1877年)を描いている。最初彼は60年代風の暴露的作品に仕上げるつもりでいたが、創作過程で曳舟人のもつ人間的魅力に触れて、人民の精神的、肉体的力の主張へと創作意図を変えた。レーピンの芸術の力は、彼のリアリズムに宿る客観性、彼の作品の形象にひそむ生活信条にある。レーピンは「ナロードナヤ・ボーリヤ」派の死刑に強い衝撃を受け、これに対して革命運動をテーマとした作品をもって答えている。「イワン雷帝とその息子」は、レーピンの作品の中でも最も有名な作品の一つである。専制政治と残酷さのために“恐るべき人”とあだ名されたイワン雷帝は、彼の息子と口論をして、激怒のあまり自分の杖で息子に致命傷を負わせてしまう。1880年代のロシアにはびこっていた専制政治と殺人の恐怖に対する抗議でした。
「不意の訪れ」は、反動時代にロシア美術が直面したロシア革命運動の将来の運命にかかわる重要な問題と直接の関連をもつ。ナロードニキの革命家が流刑地からわが家の家族の元に返ってきた場面で、彼の不在の長かったことを伝えている。レーピンはこの入って来た男の顔を何度も描き変えているが、結局彼はこの男に期待が裏切られるのではないかという不安の表情を与えた。長い不在の後に帰還したこの世界に、果たして自分の居場所があるかどうか、彼にはわからない。レーピンは一体如何なる力がロシアを数限りない不幸から休載することができるのかという、彼の心を捉えていた諸問題に対する答えを、当時の生活の中に探し求めた。
今回の展覧会の構成は、以下の通りです。
Ⅰ 美術アカデミーと《ヴォルガの船曳き》
Ⅱ パリ留学:西欧美術との出会い
Ⅲ 故郷チュグーエフとモスクワ
Ⅳ 「移動派」の旗手として:サンクト・ペテルブルグ
Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン
まず展覧会の初めに出て来るのは、レーピンの「自画像」です。1887年5月から7月にかけてレーピンはウィーンを経由してヴェネツィア、フィレンツェ、ローマを訪れ、その後、来たティロルのイッター城に滞在して「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」を描きます。この「自画像」は、7月8日の日付が記されており、ヴェネツィアで内国美術博覧会を見学した後、フィレンツェで描かれたものです。この肖像画は、亡くなるまでレーピンの手元にあった、という。
今回の展覧会全体を見渡して感じることは、レーピンは偉大なる「肖像画家」だった、ということです。若い頃、エルミタージュ美術館のあるレンブラントの「老女の肖像」を模写した作品が今回出されていました。他にもレンブラントの「赤い服を着た老人の肖像」の模写が残されているという。レーピンがパリで描いた「祈るユダヤ人」の光と影の効果は、レンブラントの「老ユダヤ人の肖像」を想起させるという。「ヴォルガの船曳き」を完成させたレーピンは、「ウラジーミル・スターソフの肖像」を完成させて、「とうとう! 私は自分の作品を仕上げて、昨日、展覧会に並べてきました」と、語っています。肖像画の傑作は、「作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像」と「文豪レフ・トルストイの肖像」でしょう。
もう一つ、レーピンの作品で特徴的なのは、家族を描いた作品です。下に取り上げた画像でも5作品があります。「幼いヴェーラ・レーピナの肖像」、「あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち」、「休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像」、「少年ユーリー・レーピンの肖像」、「日向で―娘ナジェージダ・レーピナの肖像」がそれです。なかでも今回ポスターやチラシに取り上げられた、肘掛け椅子でまどろむ妻を正面から描いた「休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像」が素晴らしい。レーピンが美術アカデミーの学生だったときの下宿先、建築家アレクセイ・シェフツォーワの娘で、ふたりは1872年に結婚し、一男三女を授かりました。
他のレーピンの作品とはちょっと異質な感じがする「あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち」は、画家が別荘を借りて家族と1878年の夏を過ごしたアブラムツェヴォで描かれたという。夏の晴れた日に金色のライ麦畑を散策するレーピンと妻と年長の娘、ヴェーラとナジェージダです。陽の光があたり田園の牧歌的な暮らしを描いたということで、当時の印象派の画家たちの作品と同じように見えますが、「外光派への傾倒は、レーピンの創作の基本をなすものではない」と、図録にはあります。
そして、今回の目玉は、というと、「皇女ソフィア」でしょう。「皇女ソフィア」、「ノヴォデヴィチ修道院に幽閉されて1年後の皇女ソフィア・アレクセエヴナ、1698年に銃兵隊が処刑され、彼女の使用人が拷問されたとき」とあり、1879年に描かれました。とはいうものの、図録には「この作品の題名には史実と異なる点がある」と書かれています。ソフィアが幽閉されている僧坊の窓の外には処刑された遺体が吊されており、左奥には怯えた表情でこちらを見ている女中の姿があります。なんといってもソフィアの形相の凄まじさがこの絵を特徴づけています。
レーピンがこの主題を選択した背景には、イギリスとフランスから支援されたトルコから南スラヴを解放することを目的とした露土戦争によるナショナリズムの高揚があり、「皇女ソフィヤ」はピュートル1世以来の西欧化に対する反抗の象徴であった。・・・つまり、レーピンは「皇女ソフィヤ」という歴史画を通して、実は同時代の社会に対する自らの意見を表明していたのである、と、図録にあります。ピョートルが成し遂げた「官僚制度」、ロシアを農奴化し、外国人に仕えさせたということが背景にあるこの歴史画、たしかにレーピンの代表作でしょうが、素人にはなかなかそこまでは読めません。
Ⅰ 美術アカデミーと《ヴォルガの船曳き》
Ⅱ パリ留学:西欧美術との出会い
Ⅲ 故郷チュグーエフとモスクワ
Ⅳ 「移動派」の旗手として:サンクト・ペテルブルグ
Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン
「国立トレチャコフ美術館蔵 レーピン展」
文学ではトルストイやドストエフスキーといった文豪を、音楽ではチャイコフスキーやムソルグスキーといった作曲家を輩出した19世紀後半から20世紀初頭のロシアは、美術の分野でも才能ある多くの画家を世に送り出しました。なかでもロシア革命に至るこの激動の時代を生きた写実主義の画家イリヤ・レーピン(1844‐1930)は、近代ロシア絵画の旗手として活躍し、数多くの名作を残しました。当時の進歩的グループ「移動派」に加わり、社会的矛盾を鋭く捉えた作品や、革命運動をテーマにした衝撃的な作品を発表する傍ら、ロシアの民族精神を鼓舞する歴史画の大作や、深い洞察力で文化人等の肖像画の傑作を描いた画家としても知られています。また一方で、妻や娘など身近な人々を描いた心温まる作品にも注目したい画家です。本展は、ロシア美術の殿堂であり世界最大のレーピンのコレクションを誇るモスクワの国立トレチャコフ美術館の収蔵品により、画業の初期から晩年に至る様々なジャンルの油彩画と素描、約80点により構成される、日本における過去最大の本格的な回顧展です。観る者を感動の世界に誘うレーピンの芸術を、心ゆくまで堪能できるまたとない機会となるでしょう。
図録
特別協力:
国立トレチャコフ美術館
主催者:
Bunkamuraザ・ミュージアム
浜松市美術館
姫路市立美術館
神奈川県立近代美術館
発行:
レーピン、スーリコス、クラムスコイとその時代
1990年6月1日~7月22日
図録
編集:北海道立近代美術館
発行:笠間日動美術館
©1990
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