小布施の北斎館で「冨嶽三十六景とエッフェル塔三十六景―ジャポニズムの流れの中で―」を観ることができました。過去のスケジュール表を見ると、小布施に行ったのは1992年6月のこと、今から20年も前のことでした。その時はクルマでまず草津に行ってログハウスに1泊し、それから志賀高原を通って小布施へ行きました。帰りは小布施から菅平を通って中之条から渋川へと出ました。数年前に、長野から小布施へ行こうと思ったのですが、その時は時間がかかりすぎたのでやむなく断念、今回はクルマではなく電車利用でした。長野市内の美術館はさておき、20年ぶりに小布施へと向かいました。
たまたま北斎館で開催していたのが「冨嶽三十六景とエッフェル塔三十六景―ジャポニズムの流れの中で―」、北斎の「冨岳三十六景」とアンリ・リヴィエールの「エッフェル塔三十六景」を比較展示するという、なかなか興味深い展覧会でした。エッフェル塔は言うまでもなくパリのシンボルです。フランス革命100周年を記念し、パリ第4回万国博覧会にあわせて、1889(明治22)年に建設されました。建設当時、312.3mを誇るエッフェル塔が世界一高い塔でした。
チラシによると、リヴィエールは北斎の「冨岳三十六景」に刺激を受け、様々な場所から見たエッフェル塔、あるいは建設中の塔に直接登り、それをリトグラフで制作しました。それが「エッフェル塔三十六景」です。36枚の作品は、エッフェル塔が点景であったり、鉄骨が大きく描かれてはいますが、決して絵の主題ではありません。パリの街の日常風景やそこに暮らす人々、働く人々の姿が生き生きと描き出されています。色彩も灰色や淡いオレンジ色が主体で、落ちついたパリの雰囲気を醸し出しています。
僕はまったくアンリ・リヴィエールのことは知りませんでした。また「エッフェル塔三十六景」についても知りませんでした。リヴィエールの作品を一つ一つみると、自然や都市の光景、また労働者や庶民の姿が克明に描かれているのがよくわかります。それを北斎の傑作「冨嶽三十六景」と対比して観られるということに、いたく感動しました。
チラシによると、リヴィエール(1864-1951)はパリの版画家です。19世紀末にフランス美術界は、日本の浮世絵に強い影響を受け、多くの画家たちが、いわゆる「ジャポニズム」ブームに乗った作品を描きました。リヴィエールも北斎や広重らの浮世絵に感動し、フランスの年の光景や自然の風景に浮世絵の手法を展開してみせたのでした。
「冨嶽三十六景」は、葛飾北斎の代表作です。大判錦絵で36枚ですが、このほかに10枚の「裏冨士」と呼ばれる作品があり、全部で46枚が「冨嶽三十六景」と言われています。北斎が70歳を過ぎ、「為一」を名乗った天保元年から同4年にかけて制作したシリーズです。各地から望む富士山の姿を、当時の江戸庶民の風俗を織り交ぜて細かく描いています。
その構図もダイナミックで、遠近法が絶妙な効果を生み出していると言われています。赤富士と呼ばれる「凱風快晴」や「山下白雨」は、朝焼け、雲や雷を見事に表現し、、「神奈川沖浪裏」は荒波が砕ける様が、見る者を圧倒します。ゴッホがこれらの江を激賞したことはつとに知られています。
折しもタイミングよく岩波新書から、大久保純一の「カラー版 北斎」(2012年5月22日第1刷発行)が刊行されました。「冨岳三十六景」については、「凱風快晴」や「山下白雨」、そして「神奈川沖浪裏」について、当然のことながら言及しています。大久保は「カラー版 浮世絵」の著者で、浮世絵研究の権威です。パラパラと読んでみました。後日、記事として書くつもりでいます。
アンリ・リヴィエール「エッフェル塔三十六景」
葛飾北斎「冨岳三十六景」
「信州小布施・北斎館」ホームページ