東京都美術館で「マウリッツハイス美術館展」を観てきました。僕が新しくなった東京都美術館に観に行ったのは、7月10日のことでした。2009年10月28日に新聞に発表され、“フェルメール「真珠の耳飾りの少女」12年東京・神戸に ”という記事を書きました。その時までは、まさかフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が日本に来るとは、思いもしませんでした。
僕のフェルメールとの出逢いは、映画であのスカーレット・ヨハンセンの「真珠の耳飾りの少女」を観たことがきっかけと言えばきっかけでした。その後、朽木ゆり子の「フェルメール全点踏破の旅」を読み、有吉玉青の「恋するフェルメール」を読み、小林頼子と朽木ゆり子の「謎解きフェルメール」を読みと、続けざまにフェルメール関連の本を読むようになりました。 ちょうどその頃国立新美術館で開催された“フェルメールの「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画”を観た時に、アート・ブロガーたちが集まる“フェルメール・オフ会”なるものにも参加しました。そして昨年の4月12日、デン・ハーグの「マウリッツハイス美術館」を訪れることができました。
さて、今回の「マウリッツハイス美術館展」、副題には「オランダ・フランドル絵画の至宝」とあります。来日した作品はまさに「至宝」です。選りすぐりの名品約50点が勢揃いです。やはり目玉は、フェルメールの一大傑作「真珠の耳飾りの少女」と、最初期の「ディアナとニンフたち」の2点、そしてレンブラントの作品は、最晩年の「自画像」をはじめ一挙に6点もの作品が並びます。実はマウリッツハイス美術館の至宝は、フェルメール作品では「デルフトの眺望」(1660-61年頃)があり、またレンブラントの作品は「ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義」(1632年)がありますが、さすがにこれらは残念ながら今回来日していません。
マウリッツハイスは、オランダ語で「マウリッツ邸」の意味です。17世紀にオランダ総督オラニエ公の傍系ヨハーン・マウリッツがオランダ・ハーグの中心地に建てました。コレクションの基礎はオラニエ家歴代当主の所有物で、1822年に美術館として開館。所蔵点数は約800点と少ないが、こじんまりとした建物に極めて上質な作品が展示されていることから、「絵画の宝石箱」とも呼ばれています。フェルメールが生涯を過ごしたデルフトもほど近い。
(朝日新聞:2012年6月25日の記事を参考に)
展覧会の構成は、以下の通りです。
Ⅰ 美術館の歴史
Ⅱ 風景画
Ⅲ 歴史画(物語画)
Ⅳ 肖像画と「トローニー」
Ⅴ 静物画
Ⅵ 風俗画
展覧会の構成を見ても分かる通り、マウリッツハイス美術館の歴史紹介に始まり、「風景画」「歴史画」「肖像画・トローニー」「静物画」「風俗画」の5つのジャンルで構成されています。フェルメールやレンブラントが輩出した背景には、16世紀後半にスペインから分離したオランダは、17世紀初頭の東インド会社設立など、ヨーロッパやアジアでの貿易で未曾有の繁栄をもたらし、その結果出現した、豊かな市民階級は、教会や貴族とともに絵画の一大パトロンとなったことがあげられます。
市民たちは、教養を要する歴史画よりも、親しみやすいモチーフを好みました。オランダ固有の風景、卓上の花束、くつろぐ庶民など、身の回りの情景を描いた絵画は、この時代が生み出した新しいジャンルでした。誰もが目にしていたオランダの平原と曇り空を描いたライスダールの風景画は人気を博したという。
聖書や神話、古典文学、史実を画題とする伝統的なジャンルである「歴史画」あるいは「物語画」は、場面を選び構図を決めるのには深い教養と想像力が求められたため、高い評価が与えられました。レンブラントは生涯、聖書や神話の場面を描き、フェルメールも最初期には「ディアナとニンフたち」など、数点の歴史画を描いています。一方、現在のベルギーにほぼ相当するフランドルは17世紀にはカトリックの最前線でした。ルーベンスの「聖母被昇天」は、アントワープにある聖母大聖堂の祭壇画を依嘱され、描いた下絵です。大工房を構えていたルーベンスでしたが、この下絵は自らが筆を握って描いたといわれています。
静物画も、花や果物、そして貿易などでもたらされた様々な物が題材になり、画家たちは写実性を競うようになりました。一方では、しおれた花や頭蓋骨、時計など、謎めいたモチーフを描いた画家も登場、こうした絵画は虚栄やはかなさを意味する「ヴァニタス」と呼ばれ、豊かさに対する戒めを伝えていました。
風俗画は、世俗そのものを写した「自分たちの絵」でした。画家たちは、贅を尽くした室内を描いたり、また、田舎の居酒屋でくつろぐ農民を描いたりもしました。ヤン・ステーンの「親に倣って子も歌う」は、酒を飲み、たばこを吸い、品のない笑いにあふれる大騒ぎを描いています。室内の女性を描いた2枚の絵、ヤン・ステーンの「牡蠣を食べる娘」も、ヘラルロ・テル・ボルフの「手紙を書く女」も、まさに「風俗画」そのものです。ピーテル・デ・ホーホの「デルフトの中庭」は、フェルメールの「小路」を思わせる作品です。
さて、「肖像画・トローニー」です。経済発展を遂げた17世紀オランダでは、結婚や誕生、名誉職への就任などを記念して、肖像画の注文が増大します。今回出品された様々な人物の肖像画は、活力あふれる当時の人びとを写す鏡でもあります。なかでもホーフェルト・フリンクの「椅子の傍らの少女」は、それまでほとんど描かれることのなかった子供の肖像画です。高価な衣裳と金を多用した装身具から両親が極めて裕福なことは明らかです。フリンクはレンブラント工房で学んだ歴史画、肖像画の画家です。
肖像画とは別に、写実的な肖像画とは異なる新しい人物画「トローニー」も流行しました。「トローニー」とは、オランダ語で頭部の習作を意味します。具体的なモデルに似せるのではなく、人物の表情や性格を深めるため、画家が自由に創作した人物像です。フェルメールは「真珠の耳飾りの少女」でミステリアスな少女を描いています。ハルスは「笑う少年」で人なつっこい子供の笑顔を描いています。レンブラントの「笑う男」もまた、生き生きとした情動を描いたトローニーと言われています。同じくレンブラントの「羽根飾りのついた帽子をかぶる男のトローニー」は、題名からもわかる通りまさしくトローニーです。
今回の「マウリッツハイス美術館展」、実はレンブラントの作品が目玉といっても言い過ぎではありません。なにしろ6点もの作品が出されているのですから。様々なジャンルの作品を手がけたレンブラントは、毎年のように自分自身を描き続けてきました。しかも、最晩年に描いた現存する3枚のうちの1枚、63歳の画家が穏やかな表情をたたえる「自画像」は、レンブラントの最後の「自画像」であり、代表作でもあります。画面左に自筆で「レンブラントが1669年これを描く」とあります。
マウリッツハイス美術館は、この春から約2年間かけて施設を増改築するプロジェクトが始まっています。「これだけの作品が館外に出るのは異例のこと。絵画の美しさや素晴らしい技術だけでなく、当時の人びとの姿や暮らしにも目を向けていただきたいと思います」と、館長のエミリー・ゴーデンカーさんは言う。
(朝日新聞:2012年6月25日の記事を参考に)
Ⅰ 美術館の歴史
Ⅱ 風景画
Ⅲ 歴史画(物語画)
Ⅳ 肖像画と「トローニー」
Ⅴ 静物画
Ⅵ 風俗画
「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」
オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館は、西洋美術史に大きな影響を及ぼした17世紀オランダ・フランドル絵画の世界的コレクションで知られています。2012年に同館が改修工事で一時休館するのに伴い、名品約50点を選りすぐった展覧会が実現します。最大の注目は、世界的なフェルメール・ブームのシンボル的存在「真珠の耳飾りの少女」です。最初期作「ディアナとニンフたち」とあわせて2点のフェルメールが出品されます。さらには、最晩年の「自画像」をはじめ一挙に6点が並ぶレンブラントは壮観です。そのほか、ハルス、ライスダール、ルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)ら、巨匠たちの傑作の数々を堪能する恰好の機会です。なお、2010年から改修のため休館していた東京都美術館の、リニューアルオープン後第一弾の特別展です。作品鑑賞の環境やレストランなどの設備面が充実し、ますますフレンドリーさを備えた「新しい都美」に、ぜひ足をお運びください。
展覧会図録
編集:
マウリッツハイス美術館
東京都美術館
神戸市立博物館
朝日新聞社
発行:朝日新聞社
「マウリッツハイス美術館展」
公式ガイドブック
2012年6月20日発行
編者:朝日新聞出版
ガイドブック
編集:
クエンティン・ビューヴェロット
発行:
ハーグ、王立絵画陳列室マウリッツハウス
ハーグ、マウリッツハウス友の会
©2009
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