佐藤正午の「豚を盗む」(光文社文庫:2009年3月20日初版第1刷発行)を読みました。佐藤正午のエッセイ集は、「ありのすさび」「象を洗う」「豚を盗む」の3冊を読んだことになります。この3冊、題名が妙に凝っています、というか、意味ありげです。当然、それぞれの作品に作者は想いを込めているのですが・・・。
今年になってから、「彼女について知ることのすべて」という映画の原作が佐藤正午だということを知り、大慌てで原作を読み、映画を観たりもしました。「彼女について知ることのすべて」は、1995年7月に集英社から刊行された作品で、その後、1999年1月に集英社文庫に、そして2007年に光文社文庫になりました。けっこう古い作品だったと言えます。まだ読みたいものも、例えば「アンダーリポート」など、他にもまだあるのですが・・・。
さて「豚を盗む」、本のカバー裏には、次のようにあります。
「生きることの大半は繰り返し」というとき、その「繰り返し」の中に人は生きるための喜び、とまではいかないにしても、慰め、頼り、よすが、何でもいいけどそのようなものを見出すことができる。(本文より)――変わらないということは、逆に考えれば古びていないということ。書いては眠り、起きては書き、自らの日常を小説家ならではの視点で綴る名随筆。
佐藤正午は、1955年長崎県佐世保市生まれ、長崎県立佐世保北高等学校卒業後、なぜか北海道大学文学部に進学し、中退します。エッセイでもわかる通り、最初の本が出版されたのが1984年の正月。その後、ほとんど佐世保を出ることなく暮らしている、独身の小説家です。生きることの大半は繰り返し、仕事を一つ片付けても、また次の仕事が待っています。が、しかし「生きることの大半は繰り返し」というとき、そのなかには新しいものを求める行為をが含まれていると、佐藤は言う。
「豚を盗む」に頻繁に出て来る人、女性ですが、佐藤の高校時代の同級生で、佐世保市内で喫茶店を経営している人です。まあ、高校時代の同級生、という以上には進展しませんが・・・。佐藤は一年中佐世保市内のマンションで仕事をして、ときには散歩をして、ときには同級生の経営する喫茶店を訪れます。また散歩の途中で立ち寄った公園で、顔見知りの女性の膝の上に足を載せて、足の裏のマッサージをしてもらったりもします。「正午さんみたいに足の裏のきれいな人は初めて見た」と言われたりもします。
そんなことはどうでもいいのですが、2篇の短い小説が挟み込んであります。小説の中身はともかく、その1篇「叔父さんの恋」に、佐世保に帰郷した叔父さんが高校時代の同級生に好きな子がいて、「玉屋の裏にあるハンバーガー屋」という箇所が出てきます。玉屋とは佐世保にあるのデパートのこと、僕は幼稚園の頃、母親に連れられて玉屋に行ったことをよく覚えています。その頃珍しいエレベーターに乗ったことも。
実は、佐世保は僕の母親が看護婦学校に4年間、通っていたところです。佐世保と聞くと、どうしても贔屓にせざるを得ません。看護婦学校を卒業後、北京の海軍病院の看護婦になり、親父と知り合って僕が生まれた、というわけです。戦後、北京から引き揚げてきて最初に上陸したのも、佐世保でした。母親の弟と妹、僕から見れば叔父さんも叔母さんも、佐世保に今でも住んでいます。
大学を出たときに、友人たちと卒業旅行と称して、磯崎新の建築を観るために大分へ旅行しました。その頃は、東京から夜行に乗って大分までたしか24時間、磯崎の初期の建築を観て回りました。その後、みんなと別れて僕一人、大分から九大本線に乗り、日田や久留米を通って佐世保に行き、親和銀行本店などを観て回りました。もちろん、叔父さんや叔母さんが佐世保に住んでいたからでした。
「親不孝」の項に、「母はいまだに健在である。幸いなことに70幾つかで元気に暮らしている。たまに実家に戻る息子を見ては、タバコをやめろ、髪を短く切れと高校時代から言い続けていることをいまも言う」という箇所があります。僕の母親も90歳を超えましたがいまだ健在、看護婦学校を出て、北京で仕事をし、戦後引き揚げてきて、激動の時代を過ごしました。長年看護婦をしていた母親ですから、息子にもああしろこうしろと、小言はいまだに続いています。先日、親孝行の真似事で、鵜の岬の温泉に連れて行きました。そんなこともあってか、佐藤正午を僕は贔屓にしています。
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