茨城県天心記念五浦美術館へ行ってきました。天心とは「岡倉天心」のこと、五浦とは「いずら」と読みます。2010年1月に一度訪れているので、再訪、ということになります。リーフレットには、以下のようにあります。
天心記念五浦美術館は、岡倉天心や五浦の作家たちの業績を紹介すると共に、展覧会をはじめとする美術鑑賞の機会提供や、日本美術の情報を広く発信するなど、新たな芸術・文化活動の拠点を目指して、平成9年11月に開館しました。また岡倉天心記念室については、書簡や遺品など貴重な資料によって、近代日本美術の発展に大きく貢献した岡倉天心の業績を紹介するほか、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山ら五浦の作家たちの作品も紹介します。
ここでは、茨城県天心記念五浦美術館を設計した「内藤廣」について、少し詳しく記しておきます。
内藤廣:略歴
1950年 神奈川県横浜生まれ
1974年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1976 年 早稲田大学大学院修士課程修了
1976-78年 フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所勤務(マドリッド/スペイン)
1979-81年 菊竹清訓建築設計事務所勤務
1981年 内藤廣建築設計事務所設立
2001-02年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授
2003年- 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授
2010-11年 東京大学副学長
「茨城県天心記念美術館」の完成は1997年です。主要構造は、「PCコンクリート造」です。「PC」とは、「プレキャスト・コンクリート」のこと、つまり、あらかじめ工場で作られた柱や梁を現場へ運び組み立てる、というものです。いわゆる「プレファブ工法」のことです。アプローチの久しや、エントランスホールの天井を見ると、その構造がよく分かります。
経歴を見ると、美術館・博物館の仕事が多いようです。その特徴は「大スパンの構造的な空間づくり」と言えます。よく知られている美術館としては、「安曇野ちひろ美術館」(1997年)、「ちひろ美術館・東京」(2002年)があげられます。「海の博物館」で日本建築学会賞作品賞(1992年)と 吉田五十八賞(1992年)を、 「牧野富太郎記念館」で村野藤吾賞(2000年)を受賞しています。
羊羹でお馴染みの「とらや」の東京ミッドタウン店や、みなとみらい線馬車道駅なども設計しています。僕が内藤廣を初めて知ったのは「共生住居(自邸)」(1984年)や、松濤にある「ギャラリーTOM」(1984年)でした。筑波の「黒の家」(1993年)も好きな住宅の一つでした。去年、旭川へ行ったときに、旭川駅のホームで「おお、これは凄い!」と思って写真を撮ったのが、下の画像です。帰ってから調べたら、内藤廣の作品でした。
内藤廣の作品
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