辻井喬の「叙情と闘争 辻井喬+堤清二回顧録」を読みました。本屋に平積みされていたのを購入、新刊だと思って購入したのですが、それは僕の勘違いで、奥付を見ると2009年5月25日初版発行、2009年6月20日再版発行、となっていました。初出は「読売新聞」2008年1月26日~2009年1月24日土曜日朝刊、となっていました。辻井喬の「自伝的」小説作品は何冊か読みましたが、堤清二の名前が出ているのは始めて読みました。言わずとしれたもとセゾングループの代表です。ということで、略歴を以下に・・・。
辻井喬:
1927年東京都生まれ。詩人・作家、元セゾングループ代表。経営者・堤清二としての活躍が知られる一方、精力的な創作活動で多彩な作品を生み出す。著作に詩集「異邦人」(室生犀星詩人賞)、「群青、わが黙示」(高見順賞)、「鷲がいて」(読売文学賞詩歌俳句賞)、小説「いつもと同じ春」(平林たい子文学賞)、「虹の岬」(谷崎潤一郎賞)、「父の肖像」(野間文芸賞)など多数。「自伝詩のためのエスキース」にて第27回現代詩人賞を受賞。本書と並行して「辻井喬全詩集」がまとめられた。
本の帯には「文学者と経営者、二つの顔を往来した半生」とあり、「この告白は、大企業創業一族の宿命を綴った稀有な個人史にして、戦後、志を分かち合った政治家、財界人、芸術家たちの熱い息吹を伝える貴重な現代詩である」とあります。帯の裏には次のようにあります。
そのとき、マッカーサーが、三島由紀夫が、本田宗一郎が・・・学生時代に共産党員になるも後に除名、療養生活を経て、反発していた父親のもと実業界に入った若き著者。その魂の軌跡を通奏低音に、政治構造の変遷、大衆社会の幕開け、経営革新と経済躍進といった戦後の諸相を、内外の当事者との知られざるエピソードを交え、鮮やかに浮かびあがらせていく。
「いつもと同じ春」を読んだときに、以下のように書きました。「小説家としての辻井を貫くテーマ」とある通り、辻井の作品の中では「父の肖像」は圧巻でした。「彷徨の季節の中で」、「いつもと同じ春」、「暗夜遍歴」は、いずれも父・康次郎を中心に、その妻・操、そして辻井とその兄弟姉妹など親族たちを、赤裸々に描いた作品といえます。そんななかで「いつもと同じ春」は、特に実妹とその家族、つまりその夫と息子を取りあげて、「確執と理解」が描かれています。
同じように「叙情と闘争」でも、フィクションではないので、実妹に対する堤清二の愛情は変わらずに描かれています。戦争が終わったとき、実妹は17で、女学校を卒業したときでした。当然彼女は進学を希望しますが、「女に学問は要らん」という父の頑なな一言で前途は阻まれます。ダンス教室の正年と駆け落ちしたり、親の決めた結婚に失敗したりもします。「そうした中で僕に出来るのは妹の自立の手助けをすることだけであった」と書いています。「妹パリに死す」として、1997年6月16日、堤邦子が死んだ、と書いています。
「ある種のモダンジャズが持っている虚無的な響き、現代絵画が内側に抱えている、社会に対する拒否の感覚に、彼女は共鳴していた。その点では、彼女はパリでの生活感を内側に引き入れることに成功していたと言えるのではないか」と述べて、自分にはない対照的な実妹に“反面教師”としての役割を見ていたように思われます。妹が他界したことで、引退を躊躇する条件はなくなり、「ビジネスの世界を離れ、また身軽になってしまった時、僕にはもう、子どもの頃から一緒だった身内は、一人もいなくなったのである」と、嘆き悲しんでいます。
おもしろいのは、政治家、財界人、芸術家たちが実名で登場し、裏話が時々刻々、明らかにされていることです。三島由紀夫の「楯の会」の制服を作ったこと、モスクワ訪問中、ダークダックスの喜早哲とセレモニーを抜け出して、「青年の家」というアブナイ集会所に行ったこと、丸山真男を囲んで福沢諭吉の「文明論之概略」を読む会に参加したこと、パリで事故を起こした車に乗っていて宮脇愛子と深夜のパリで心中し損なったと噂されたこと、大磯の吉田邸相続問題、長男の吉田健一が、遺産を持ってロンドンへ行ったこと、安部公房との北欧の旅、等々話題は尽きません。
読む人の興味によって、さまざまな箇所で面白さはありますが、「セゾン現代美術館」について語っている箇所が、僕の興味を惹きました。「たくさんの才能が僕に刺激を与え・・・文学と演劇における安部公房、音楽における武満徹抜きには僕はセゾン現代美術館の開設を考えることができない」と書いています。表向きの理由は、「駅前ラーメンデパート」と呼ばれていた会社を一流にしたい、文化的なイメージが大切だ、ということだったが・・・。
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辻井喬の「いつもと同じ春」を読んだ!
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老いらくの恋を描いた「虹の岬」