イーユン・リーの「理由のない場所」(河出文庫:2024年5月20日初版発行)を読みました。
この作品は2020年5月、河出書房より単行本として刊行されました。
実は、単行本として過去に読んでいたことが分かりました。
母親の「私」と自殺して間もない16歳の息子との対話で進められる物語。著者の実体験をもとに書かれた衝撃作。生前と同じような調子で、生と死の境界線を越えて会話がなされ、母親の底なしの悲しみが伝わり強く心を打つ。刊行当初より大きな反響を呼び、PEN/ジーン・スタイン賞を受賞。魂をゆさぶられる他に類をみない秀逸な作品。
ここでは以下、訳者の篠森ゆりこ「訳者あとがき」を引用します。
この小説は、自死した少年とその母親が死の境界を越えて会話を交わし、それを母親が小説として書くという、たに類を見ない設定になっている。心に深い傷を負った語り手である母親は、深刻な事件からさほど時がたっていないのに、ほぼ普段どおりと思われる、驚くほど冷静な会話を始める。死の「境界線」の向こう側にいる「完璧主義者」の息子も、決して感傷的にならない。まだ反抗期が終わっていないのか、面食らうほどの毒舌で議論を戦わせたり、批判をしたり、疑問をぶつけたりする。ささいなことで二人の口論が始まるので、これが本当に母親が望む最後の会話なのかといぶかしく思えるほどだが、それは彼女が息子の死を受け入れられずにいるか、あるいは彼を取り戻そうとして生前と同じ調子で会話を続けようとするからだろう。だから息子はもう亡くなっているのに、懸命にいい母親でいようとして息子のためになることを教えたり、せめていい話し相手になろうと努めたりする。その姿はあまりにもせつなく、読む者の心を打つ。全体が十六章に分かれているのは、息子が十六年生きたことと関係があるのだろう。
つまりリーは、「うまく言葉にできない物事」を語るためにこの小説を書いているのであって、現実を受け入れることに努めようとしているわけではない。たとえ語りえないことだとしても、語らずにはいられないから書いている。小説の中に「言葉の影は語りえぬものに触れられることがある」という件があるように、きっと言葉の力を信じているのだろう。でも、その方在り得ぬ悲しみは既存の物語の形式にはおさまりきらない。だからだ暗ペン的でこれといった筋がないこのさ作品は、前衛的で斬新な印象すら与える。
作中で、二人は言葉でつながっていると母親は考えているのだが、実際には一から十まで彼女自身の言葉だ。だからその世界はすべてから自由で、時間すら超越していて、生前に言えなかったことを伝えたり、訊けなかった質問をしたりすることができる。それは脳内だけの幻想の世界だ。文章から発言の引用符は省かれ、口に出した台詞も口に出さない思いも、母親の問いかけも息子の返事も混ざり合い、この世とあの世を含めたすべてが境界を失って溶け合うように見える。読んでいるとどこからどこまでが誰の発言なのか混乱しそうになるが、その混沌としたありさまからは、もっとも愛する者を失った母親の内面の状態が伝わってくるようだ。
イーユン・リー:
1972年北京生まれ。北京大学卒業後、アイオワ大学大学院で免疫学の修士課程修了。その後同大学院の創作科に編入。2005年「千年の祈り」で作家デビューし、多くの文学賞を受賞。他に「さすらう者たち」「独りでいるより優しくて」「もう行かなくては」、短編集「黄金の少年、エメラルドの少女」など。現在、プリンストン大学で捜索を教えながら、執筆を続けている。
篠森ゆりこ:
翻訳家。訳書に、イーユン・リー「千年の祈り」「さすらう者たち」「黄金の少年、エメラルドの少女」「独りでいるより優しくて」「もう行かなくては」、クリス・アンダーソン「ロングテール」、マリリン・ロビンソン「ハウスキーピング」など。著書に「ハリエット・タブマン――彼女の言葉でたどる生涯」がある。
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