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芥川賞候補作・坂崎かおるの「海岸通り」を読んだ!

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芥川賞候補作・坂崎かおるの「海岸通り」を読みました。

 

執筆者紹介には作家。84年生まれ。「ニューヨークの魔女」(「スピン」第4号)、とあります。

 

はじめにこう切り出します。

サトウさんはこのバス停に午後二時ごろに来る。たいていは。二時半のこともあれば、三時近くになることも。あるいはその日は来ないということもあるのだが、二時より前にやって来ることはない。サトウさんのごはんはとてもゆっくりだからだ。柔らかい豆腐の味噌汁とか、細かく刻まれた大根とぶりの煮物とか、そういったものを丁寧に丁寧に噛んで食べる。一度数えてみたら、箸で一口入れてから、四五秒かけて咀嚼していた。そのくせ、歯は丈夫で、入れ歯でないことが彼女の自慢のひとつだった。「あたしの母親の実家は牛乳屋だったからね」というのがサトウさんが自身の歯を語るときのエピソードのひとつだ。「人生で必要なのはカルシウムだよ」彼女の口づさむ「カルシウム」は外国語というより他の星の言葉のにおいがする。彼女はそうやって朝ごはんとか昼ごはんとかを楽しんだあとで散歩を始めるので、そんな時間にしか来ないのだ、と思う。

 

海辺にあるこのホームは、きららえん、という保育園のような音をしているが、「雲母園」という雄大な漢字が入り口に記されている。入所者数は少なく、建物はそう大きくないが、庭が広く、四季折々の木々が植わり、遠くに水平線が見える。はっきりとはしない。もさもさとしている常緑樹の隙間から、その薄青い線がのぞいているだけだ。その庭の端っこに、ニセモノのバス停はある。

 

雲母園の清掃業務は、おそらく他の老人ホームに比べてみれば楽なのだろうと思う。第一に施設の広さがあまりない。三階建てだが、一軒家を少々大きくした感じの、二世帯住宅の紛い物みたいな風体で、掃除をすべき箇所がそもそも少ない、というのは楽だ。

 

わたしは週に三日働いている。通常は九時からだが、早番は七時、遅番は十字と、シフトによって変わる。入居者の部屋や、共用の場所の掃除が主だ。今までずっと企業のビル清掃として派遣されて来たので、最初は戸惑った。そもそもけっこうキレイなのだ。もちろん、食べこぼしもあるし、チューブを使っている人はそこからの汚れもある。トイレは便や尿が目立つ。でも、嘔吐処理は介護職員がする決まりになっているし、高齢者は活動範囲が狭いから、やはり他の現場に比べると清掃箇所が雑多で多いとは思わない。その代わりに、入居者には気を遣う。

 

というようなゆったりとした時間も、さすがの人手不足でそろそろ限界に近くなり、だから、マリアさんが来たときは、よっぽど人がいなかったんだな、という感想がはじめに来た。今日は会社の事務所来てと言われて紹介されたのが彼女で、「お、黒いな」という言葉が頭に浮かび、これは口に出しちゃいけないやつだと、きゅっと唇に力を入れた。「アフリカ人?」「アフリカという国はない」私の質問に、ぴしゃりと三島さんは答えた。エリアマネージャーの彼女は、ときどきそういう、刀で切ったような物言いをする。「そもそも、肌の色と国籍は関係がない。黒人はアフリカだけに住んでいるわけではない」マリアさんは三島さんの様子に少し困った表情を浮かべていたが、「ウガンダからキマシタ」と、カタカナでぴょこりとお辞儀をした。

 

雲母園の庭は冬模様になっていた。この町に雪はめったに降らないので、シマトネリコのような常緑樹を除けば、庭の風景は淡く淡く鼠色のようになっていく。サトウさんもあまりバス停には来なくなった。それでもわたしは素数のバス停の時刻表を磨き、ときどきはベンチに座ってバスを待ってみた。待つ、という行為は不思議だ。だれかを待つとき、それは自分が主役でありながら、そこに行為らしい行為は見えない。ただぼっと立っているか、座っているか、あるいは普通の生活を送っているか、それだけにしか見えない。そのだれかが現れるまで、その人は、だれにもわからない。見えない行為を、ずっと続けていかなければならないのだ。いつもの生活の間に、いつものルーティーンの陥穽に。だからたぶん、私は、待つ、ということが嫌いなのだ。ベンチから立ち上がる。水平線を見ようとして、霧がかかったそれは、見えない。

こういう金太郎飴みたいな毎日はありがたかってのだけれど、春が近くなってきて、状況は変わった。コロナだ。

 

辞めてくれ、と言ったのはエリアマネージャーの三島さんで、言われたのは私で、でも、それが言われたのは自分だとはぜんぜん思わなくて、つい辺りを見回して、神崎さんの姿を探してしまった。ときどき、落ちにくい汚れを見つけたときは彼女を思い出すが、彼女はいない。「結論から言うと、久住さんには辞めてもらうことになる」。

 

終わりはこうです。

サトウさんは窓の向こうを見ている。明るい光が彼女の顔を舐めるように照らし、眩しくないのだろうか、彼女はずっと、その照らされている景色を見ている。「ミサキ」サトウさんはそう口を開いた。「ミサキが見える」窓の向こうには建物や堤防があるだけで、海も、岬も、灯台もない。でも、わたしは、「そうですね」と返事をした。「そうですね」と繰り返した。

それからサトウさんは振り向き、じいっと、わたしの顔を見た。バスは、海岸を遠く、走っている。

 

テーマは介護施設の清掃人、現実的でまったく過不足がなく、平易で安定した文章で、淡々と描いています。気負いはなく、が、それだけで、もの足りなさは拭えません。通常であれば上位に位置しますが、芥川賞候補作としてはどうでしょうか。

 

これで今回の芥川賞候補作は、どうやっても購入できない、朝比奈秋の「サンショウウオの四十九日」(新潮5月号)以外、読んだことになります。

 


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