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芥川賞候補作・向坂くじらの「いなくなくならなくならないで」を読んだ!

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芥川賞候補作・向坂くじらの「いなくなくならなくならないで」を読みました。

 

向坂くじらは著者一覧によると、詩人。94年生まれ。著書「夫婦間における愛の適温」とあります。

 

文藝後記によると、今号掲載の中篇「いなくなくならなくならないで」は、著者の向坂さんにとって初めての小説作品、名エッセイ「夫婦間における愛の適温」(百万年書房)を読んでその洞察力と言葉の広がりにほれぼれし、小説も是非!と打ち合わせしたのが昨年10月。あっという間の200枚堂々完成で驚愕です、とあります。

 

向坂くじらの「いなくなくならなくならないで」は、以下のように始まります。

ファントムバイブレーションシンドローム。実際には起きていない携帯電話の振動を錯覚することをそう呼ぶのだという。携帯電話の普及によって、ポケットの中に触覚的に着信を受けることを学習した身体は、衣服やなんかのわずかな刺激に敏感に反応してしまう。それで反射的に携帯電話を取り出し、肩透かしを食らうのだ。日本語では幻想振動症候群というそうだが、時子はいつも「ファントム」の語感にひっぱられて、幽霊のことが頭をよぎる。幽霊振動症候群、あっ、と思うたび、幽霊、幽霊、と自分に念じて、ポケットに伸びそうになる手をこらえる。さざ波のような振動で太ももがしびれる気がしてきても、目を伏せて耐える。そしてそのことにも、すっかり慣れきっていた。

 

朝日が死んで四年半になる。

死んだはずの友だちから電話がかかってきて、明日会いたいと言われた。そんなことを言えば心配されるだけだろうから、時子はだれにも話さずに池袋まで来た。だいたい、朝日が死んだことを本当に知っているのは時子だけだ。

 

壁越しみたいなおしゃべりはあっけなく終わった。「あのさ、あれだったらうち泊まったらいいよ。ここから一本だし、いまひとり暮らしだから」そうして、朝日は時子のうちにやってきた。こうして時子と朝日の物語は始まります。

 

母がいよいよ咽び泣きはじめる。お父さん、だって、どうするの。生まれちゃったら。どうするの。どうやって会いに行けばいいの。どうやって助けてあげたらいいの。朝日が時子の頬をつかむように口の中へ差し込んだ親指を、時子は唸りながら思いっきり噛む。それにもかかわらず、「どうしようね」と言いながらなおさら深く喉のほうへ押し込もうとするからえずいて、たくさんの唾液が朝日の手ごと吐き出される。咳き込んでいると、朝日がつぶやく。

「しょうがないじゃんね。生まれちゃったから」

直後、時子は朝日につかみかかり、また揉みあいになる。近づこうとする手足にはねのけようとする手足がぶつかりあい、どちらがどちらのものか、よくわからなくなってくる。がんばったねって、言ってあげたい。頭なでてあげたい。大丈夫だよ、絶対いい親子になるよって、言ってあげたいでしょ。そばにいてあげたいだけでしょ。なにがいけないの。ふたつの身体は、横向きに向かいあってお互い相手の頭を両手でつかみ、額と額を合せたかたちになると、そこでついに拮抗した。朝日に手のひらが鰐のあごのように、力いっぱい頭に嚙みついている。

 

絶対、助けが必要なの。お父さんにはわかんないかもしれないけど、そのときには絶対、ひとりじゃだめなの。誰かの助けが必要なの。おねがい。お父さん、お願い。

だまっていると、朝日の浅く吐き出す息のペースと、自分の息とがあってくる。朝日がなにか言うのを待っていた。朝日のほうでも、時子が口火を切るのを待っているのかもしれなかった。けれどもうどちらも、なにも言わなかった。少しでも力をゆるめればすぐに先手をとられるのはわかっていた。両手にふたたび力をこめる。人間の頭蓋はとても硬く、手のひらはあまりにやわらかい。

 

死んだ人間が生き返る、発想は突飛だが、読んでいて好ましく思える自分がいました。芥川賞受賞はやや遠いけれど、小説一作目としては善戦しました。

 


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