建築のノーベル賞といわれるプリッカー賞の今年の受賞者に、建築家の山本理顕さん(78)が決まったことは、過去に記事で載せました。
そう言えば、山本理顕の著書・「権力の空間/空間の権力」を読んだことを思い出しました。ということで、以下に過去に書いた記事を再掲します。
山本理顕の「権力の空間/空間の権力 個人と国家の<あいだ>を設計せよ」を読んだ!
山本理顕の「権力の空間/空間の権力 個人と国家の<あいだ>を設計せよ」(講談社選書メチエ:2015年4月10日第1刷発行)を読みました。帯には「アレントとともに挌闘する建築家の提言」とあります。
山本理顕は1945年、中国北京の生まれ。日本大学、東京芸大大学院を出て、東京大学生産技術研究所の原広司研究室の研究生となり、海外集落調査に同行しています。東京大学生産技術研究所・原研究室が行った世界各地の集落調査を全5冊にまとめ、「SD 別冊」として出版しています。いま、手元にないので、何年も続いた調査なので、山本がすべてに参加したのかどうか、はっきりしませんが、僕の古い友人も幾つかの調査に参加していました。この本は全5冊、どこかにあると思います。原広司の集落調査については、以下に書いたことがあります。
原広司の最新プロジェクトと「集落の教え100」など!
その1. 地中海地域の領域論的考察
その2. 中南米地域の領域論的考察
その3. 東欧・中欧地域の形態論的考察
その4. インド・ネパール集落の構造論的考察
その5. 西アフリカ地域集落の構造論的考察
山本の実家は薬局でした。表通りに面して店があり、奥に生活の場があります。いつでも来客に対応できるように、コンパクトで多目的な居室になっていたという。「LDK+n」という戦後住宅の標準的なプランニングとは相いれないこの生活体験が、山本の住宅感を後々まで支配します。1986年「GAZEBO」、1987年「ROTUNDA」、1988年「HAMLET」と立て続けに住宅を発表します。そして1987年には 「雑居ビルの上の住居」で 第39回、2002年には 「公立はこだて未来大学」 第54回日本建築学会賞を受賞します。2007年に完成した「横須賀美術館」は、よく知られています。
山本理顕の「権力の空間/空間の権力 個人と国家の<あいだ>を設計せよ」を読んで、正直言ってブログに書くのは僕には無理と思いました。気にはなっていましたが、しばらく迷っていると、ちょうど朝日新聞の書評欄に、原武史(明治学院大学教授・政治思想史)の書評が載りました。
そこで原は、「建築家の山本理顕は、思想家のハンナ・アレントが著した『人間の条件』を、これまでの政治思想史研究とは全く異なる資格から読み解いた」として、「政治思想史の研究者の多くは、思想家が残したテキストを丹念に読み込み、政治概念を抽出することには努めても、政治が住居や都市のような空間とどれほど深く関係してきたかを考えようとはしなかった」といい、山本理顕の著書を「著者の読みはきわめて斬新であり、建築家がアレントを精読するとこうなるのかという新鮮な発見に満ちている」と述べています。
「著者によれば、アレントほど空間のもつ権力性に敏感な思想家はいなかった。そのアレントが古代ギリシャで注目したのが、公的領域(ポリス)と私的領域(オイコス)の間にある『無人地帯』、つまり『閾(しきい)』だというのだ。・・・確かに『人間の条件』には、それに相当する文章がある。しかし、政治思想史の分野で、ここまで『閾』に注目した研究は見たことがない」。そして「もし本書の問いかけに、政治思想史の側から何の応答もなされないのであれば、あまりにも空しい」とまで、述べています。
「邑楽町庁舎コンペ」や「小田原市民ホールコンペ」については、以前から聞いてはいました。山本の主張が間違っていないことは理解できますが、「そうは言っても」ということもあります。「官僚化」についても、「労働と仕事」についても、今まで言い尽くされてきた事柄です。モダニズムの建築を批判することも同様です。そして、アレントの思想に、あまりにも多く寄りかかっていることです。ところによっては、牽強付会ともいえるような引用の仕方です。
山本は、「1住宅=1家族」はコミュニティをつくらない、という。自分の育った薬局での体験でどのような住み方の提案が出てくるのか、期待しましたが、経済行為と一体になった住宅は、奈良県橿原市今井町の町家や、六角橋中通り商店街、そしてパリ2区のパサアージュだけでした。山本の理想とするのは、「立体的な商店街のような『地域社会圏』」のようですが…。いやはや、それにしても僕にはあまりにも荷が重い。
ハンナ・アレントについては、映画「ハンナ・アーレント」と、矢野久美子の「ハンナ・アーレント」を読みました。
矢野久美子の「ハンナ・アーレント」を読んだ!
講談社のホームページには、以下のようにあります。
ハンナ・アレントは『人間の条件』の中で、古代ギリシアの都市に触れて「私的なるものと公的なるものとの間にある一種の無人地帯」という奇妙な表現を使っている。ここで言われる「無人地帯」とは「ノー・マンズ・ランド(no man’s land)」の訳語である。そして、このノー・マンズ・ランドこそ、都市に暮らす人間にとっては決定的に重要だ、とアレントは言う。
本書は、この表現に注目した世界的建築家が、アレントの主著を読み解きながら、現代の都市と人々の生活が抱える問題をあぶり出し、われわれが未来を生き抜くために必要な都市の姿を提示する書である。
ノー・マンズ・ランドとは、日本家屋で喩えるなら、空間的な広がりをもった「敷居」のようなものだと著者は言う。古代の都市では、異なる機能をもつ複数の部屋を隔てたり、家の内と外を隔てたり、私的な領域と公的な領域を隔てたりする「閾」そのものが場所として成立していた。しかし、そのような場所は現代の都市からは完全に失われている。
それこそが人々の閉塞感を生み、人と人のつながりを破壊した原因であることに気づいた著者は、敢然と異議を唱える。その打開策として打ち出されるのが、インフラのレベルから構築される「地域社会圏」というヴィジョンである。そこでは、国家の官僚制的支配から自由になった人々が、それぞれの能力と条件に応じて協同し、住民の転入・転出があっても確固として存在し続ける都市が実現される。
誰も有効な処方箋を書けずにいる困難な日本で、幾多の都市にまなざしを向けてきた建築家が回答を示す必読の書。
目次
はじめに
第一章 「閾(しきい)」という空間概念
1 "no man's land"とは何か?
2 ポリスの空間構造、そして「閾」という空間概念
3 集落調査I──外面の現れ(appearance)
4 集落調査II──「閾」のある家
第二章 労働者住宅
1 アルバート館
2 労働者住宅の実験──親密なるもの
3 隔離される住宅
4 共同体的居住システム
5 "物化"という概念
第三章 「世界」という空間を餌食にする「社会」という空間
1 労働は労苦なのか生きがいなのか
2 仕事の世界性
3 世界から社会へ
4 鳥のように自由な労働者
5 社会はどのように管理されるのか
第四章 標準化=官僚制的管理空間
1 一円入札
2 権力は下から来る
3 官僚制的統治は空間的統治である
4 標準的空間
5 標準化という美学
6 「1住宅=1家族」システム
7 搾取されているのは労働力ではない
第五章 「選挙専制主義」に対する「地域ごとの権力」
1 「性現象」のための住宅
2 模範農場で卵を産む鶏
3 世界を共有しているという感覚
4 住民参加による建築の設計、そして反対派
5 コミュニティという政治空間
6 選挙専制主義に対する評議会という権力
7 「地域社会圏」という考え方
あとがき
山本理顕:
1945年生まれ。建築家。1971年、東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修了。1973年、株式会社山本理顕設計工場設立。横浜国立大学大学院教授などを歴任。主な建築作品に、熊本県営保田窪第一団地、横須賀美術館ほか。主な著書に、『新編 住居論』(平凡社ライブラリー、2004年)、『建築の可能性、山本理顕的想像力』(王国社、2006年)、『地域社会圏主義』(共著、増補改訂版、LIXIL出版、2013年)ほか。
朝日新聞:2015年6月21日