プロデューサーAのおもわく
「トランプ現象」を予言したとして、SNSで大きな反響を巻き起こした哲学者がいる。リチャード・ローティ(1931-2007)。現代アメリカを代表する哲学者であり、現代哲学界で最も多くの論争を巻き起こした人物と評される。彼が哲学の新たな役割を提示し、あるべき社会の在り方を論じた名著が「偶然性・アイロニー・連帯」(1989)だ。SNSによる社会の分断、ポピュリズムによる民主主義の劣化など厳しい局面に立たされている私達現代人は、どんな社会を構想し、どんな言語空間を創出していけば問題解決につながっていくのか? ローティの哲学を手掛かりに、その解決の道筋を探っていく。
ローティは、伝統的な哲学を葬り去った哲学者ともいわれる。古代ギリシャに端を発し、デカルト-カントによって完成されたとされる近代哲学は、「究極の真理を見出し、それによってすべての学問や知を基礎づけ直す」という野望をもっていた。しかし、ローティはそんな「基礎づけ主義」は百害あって一利なしであり、社会に深い分断をもたらすだけだという。人類にとって特権的な知など存在せず、あらゆる「語り」「ボキャブラリー」は同等であり、それぞれに尊重されるべきものだと主張するのだ。
近代哲学が生み出した「基礎づけ主義」による悪弊は、旧ユーゴにおける民族浄化やルワンダ内戦における虐殺など、さまざまな事象に影響することがありうるという。「理性をもつ存在こそ人間」という近代哲学のロジックは、容易く「西欧近代が基礎づけた理性をもたなければそれは人間ではない」というロジックにすり替えられていく。このことがまかり通ると、ヘイトスピーチや虐殺が簡単に正当化されてしまうとローティは警告するのだ。ローティは、今後の哲学者の役割は、「真理探究」のような大仰なものではなく、歪んでしまった「語り」や「言説」に対して、「治療的」に働きかけることだと訴える。それは、哲学を、社会に開かれたものにしていくローティの戦略でもある。
番組では、朱喜哲さんを指南役として招き、現代アメリカ哲学を代表する名著「偶然性・アイロニー・連帯」を分り易く解説。ローティの哲学を現代社会につなげて解釈するとともに、それを元にしたあるべき社会像を深く考えていく。
第1回 近代哲学を葬り去った男
ローティは、西欧哲学の流れを俯瞰し、その根本動機が「究極の真理を見出し、それによってすべての学問や知を基礎づけ直すこと」にあると分析。だが、そのような「基礎づけ主義」「本質主義」は、価値感が多様化した現代にあっては百害あって一利なしと批判する。あらゆる知がそれぞれの地域や時代によって育まれた「偶然的なもの」であるという事実を直視し、そこから哲学の新たな役割を創り出さなければならないと主張するのだ。それは、多様な価値観がせめぎあう社会の中で、歪んだ「語り」や「言説」に治療的に働きかけるという役割だ。第一回は、哲学者ローティがどのようにして近代哲学を葬り去ったかを明らかにしながら、「基礎づけ主義」の何が問題なのか、そこから解放された時どのような社会ビジョンが開かれるのかを考える。
第2回 「公私混同」はなぜ悪い?
「公私混同はよくない」とされる常識に反して、社会のあらゆる領域で公私は混同され続ける。芸能人の不倫スキャンダルが正義のもとに断罪されジェンダー的に不適切なポスターが公共空間を彩る社会……現代社会は「公的なもの」と「私的なもの」が入り混じる。ローティは、公私の区別こそが民主主義の基盤となると主張し「バザールとクラブ」というモデルを提示。私的な仲間内の「クラブ」ではいかなる奇抜な趣味、異常な趣向をもっていても同好の士の間で共有されるが、そこから一歩外へ出ると自分の基準からは許しがたい価値観の人々も交錯する「バザール」が広がると考える。「バザール」内では公共的な規範やマナーが重視されるべきで、そこを整備することこそ哲学の役割だとするのだ。第二回は、現代社会において「公」と「私」をきちんと立て分けることがなぜ大切かを明らかにし、民主主義の基盤となりうるような公共空間をどのように作っていけばよいかを考える。
第3回 言語は虐殺さえ引き起こす
ローティは伝統的哲学によって基礎づけられた「人権」という概念に疑義を呈する。それは暴力を阻止するどころか助長することもありうると警告するのだ。「理性をもつ存在こそ人間」という近代哲学がロジックは「理性をもたなければそれは人間ではない」というロジックに容易くすり替えられる。ルワンダでは敵対する部族を「ゴキブリ」「蛇」と名指さすことで虐殺のハードルが著しく下げられ非道な殺戮が横行した。「虐殺の言語ゲーム」として分析されるこうした事例を、ローティは「残酷さの回避」という新たな概念によって抑止しようとする。第三回は、ヘイトスピーチや虐殺を生み出してしまう言葉遣い、ボキャブラリーのメカニズムを解剖し、どのようにしたらそうした事態が避けられるかを明らかにしていく。
第4回 共感によって「われわれ」を拡張せよ!
ローティは、マイノリティの権利獲得の裏で相対的な権利剥奪感を抱く白人労働者層が「自分たちこそ弱者だ」と叫び強力なリーダーを求める可能性を導き出し、「トランプ現象」を予測したとして高く評価された。マイノリティを救うはずの「アイデンティティの政治」が逆用される現象だ。ローティは、文学やルポルタージュを使って他者への共感能力を育て「われわれ」という意識を拡張し続けるという処方箋を提示する。第四回は、「トランプ現象」や「ポピュリズム」等の現代社会の問題に対して、哲学はどのような処方箋を用意できるのか、ローティが理想として掲げる「リベラルな社会」とはどのようなものなのかを探る。