Quantcast
Channel: とんとん・にっき
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2506

芥川賞候補作、小砂川チトの「猿の戴冠式」を読んだ!

$
0
0

 

芥川賞候補作、小砂川チトの「猿の戴冠式」(群像:2023年12月号)を読みました。

63ページから129ページまでの長編です。

小砂川チトは90年生まれの作家です。

 

ある種族のなかにおおいにすぐれた者がいて、また別の種族のなかにはきわめてすぐれた者がいた。かれらの属する種族は偶然に出遭うことのない、深い森の奥に暮らしていた。片方は気性が荒くまれに同士討ちや子殺しをしたが、もう片方は平和を好み、慰め合ってばかりいた。

ふたつの森のなかには個の意識というものがなく、[われわれ]という感覚だけがひとまとまりのパン生地のように茫洋と膨らんでいて、あらゆることごとは未分化のまま、ただそのへんにおおらかに転がしてあった。一族にはそのやり方によって生き延びてこられたというじゅうぶんな実績があり、それなりに心地もよくて、なんら問題がなかったから、ただひとまとまりのパン生地として、フカフカと暮らすことが選ばれつづけてきたのだった。

ところが高度に発達した人間は、順にこの二種族を発見する。そうしてそのなかに秀でたふたりを見出し、そっと森の外に連れ出すことをした。

 

人間はかれらに粗末なキーボードを授け、絵文字のようなものと[意味]との一対一関係を教え込んだ。親切心と好奇心とがないまぜになってすでに不可分のものに変容していて、だから人間はかれらと接するときいつも、歯をむきだしして微笑んでいた。むきだしながらひたすらに教えた、自分らの赤ん坊にそうするように、根気強く、ていねいに。つまりは人間は人間なりのやり方でかれらに[言葉]を与えた。与えてしまったのだった。ふたりはその生白い手にすこしの戸惑いと疑りの目つきを向けながら、けれどもやがて受け入れる。かれらは言葉を、意味を、おずおずと刈り込むことをはじめた。

 

とうとう、このふたりを対面させる日がやってきた。実験室のなかに毛むくじゃらの黒いゆびとよく光る目玉が四つ、落ち着きなく動き回っていた。かれらは目の前のキーボードを用いて、ぽつり、ぽつりと対話のようなものを取り交わしはじめる。すくなくとも実験室の外で固唾を吞んで見守る人間たちには、それは対話以外のなにものにも見えなかった。

 

・・・

 

ここはあの銀色の部屋、はじまりの部屋だと、直感的に分かった、われわれはついに小窓ごしに見つめ合う。長い長い実験の、最後のフェーズがついに訪れたのだった。われわれは着席する。この世界で学んだすべての成果を持ち寄って、ふるえるゆびさきに力をこめ、おごそかな手つきで王冠を、今度こそ、この頭に戴く。

それでも依然として/われわれは/われわれにとって/たぐいまれなる猿。/この、冠は/ひどい嵐のなかでこそ/光をあつめ/われわれを/讃えるだろう。

いまあなたの王冠がわたしに、わたしの王冠があなたにさずけられたも同然だった。このまなざしはすでにもうどちらのものだか、見分けがつかなかったから。

われわれは/この器用な前脚で/みずから/言葉を発見し/てずから/かんむりを戴きそうして/その、すこぶる丈夫な後ろ脚で。森の外/もっと遠くへ/それでこそ/それでこそ/それでこそ。

夜の海のように暗転したテレビが目の前にあって、わたしはわたしとすっかり同じ顔をして、この頭に王冠を戴いている。このアパートには切り出されたわたしだけがごろんと取り残されていて、視界だけがやけにさえざえとして、わたしたちをむすべそうな相手は、見渡す限りどこにも見つからなかった。そうと分かるとじょじょに、しずかに、腹はきまって、わたしの前脚は冷えきった王冠をほどき、それと同じゆびですでに靴紐を、むすびはじめている。

歩くのだ/歩けばいい/ひとりでも/ただ、きだかく。/それでこそ/それでこそ。

 

ここには書かなかったものも含めて、良く書けている物語です。

芥川賞を受賞するには、残念ながらテーマがふさわしくないような気がします。

 

過去の関連記事:

小砂川チトの芥川賞候補作「家庭用安心坑夫」を読んだ!

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2506

Trending Articles