芥川賞候補作・安堂ホセの「迷彩服の男」(文藝:2023年秋号)を読みました。
180ページから239ページまでの長編です。
2018年12月23日、<ファイト・クラブ>には私たち二十人あまりの男がいた。その店は、雑居ビルともマンションとも呼び捨てられるような建物のの地下にあった。意志をもってアクセスする人間以外にその存在は知られていない。<ファイト・クラブ>にやってくるのは男と接触したい男だけで、従業員も男だった。接触とは殴り合いのようなものではなく、ただのセックスに限られていた。入場料1500円。営業時間は15時から24時。ドレスコードは全裸。
16時30分。血まみれになったいぶきが誰かに発見された。フェンクレザーのマットに横たわったいぶきは、26歳。身長は188センチ。体重は80キロ前後。次の誕生日まで、あと一月だった。アフリカ系アメリカ人と日本人の両親に生まれ、自作のポルノビデオを売って生活していた。
はじめていぶきに会ったとき、私たちはお互いのことを何も知らず、自分以外でブラックの流れている日本人を、地下ではじめてみた。その姿をみてすぐに、彼が単一な日本人ではないとわかった。肌の色そのものが異質だったのではなかった。<ファイト・クラブ>の青い電球に照らされれば、どんな人種の男も青かった。・・・それでも、骨格や顔立ちといった彼の形が、彼の色を、十分に可視化させていた。色が青いまま、彼はブラックだった。
私もまた、単一な日本人ではないのだとあらためて意識した。私にもまたブラックが流れている。そのことを実感するのは久しぶりだった。自分にも周囲にも暗示を重ねることで手にした、イエローに迷彩しているような錯覚をふわりと剥ぎとられた。
・・・
あの夜の私を客観的にみているように懐かしく感じた。ひとつずつ役がずれて、知らない男が<犯人>に、彼が<被害者に>、そして空席だった<恋人>の役に私が、それぞれ迷彩していた。包丁は残されたほうの男に握らせた。一度はしっかりと握りしめた包丁を、男は血の溜まった小便器に落とした。奪っていた右腕を開放すると、落とした刃物を追いかけるように陶器に触れ、赤い汚れを残しながら首へ戻っていった。床に血を流しつづける首元へ、よろよろと戻っていった。
充満しているのは記憶にある匂いで、けれど何かが少しだけ涼しいような匂いだった。捲れあがったレーヨン生地のうえを血が流れてから、撥水されて、縫い目のような赤い点々へと分裂した。血を汚いと思う感覚は、その時の私にはもう残っていなかった。どこにあっても血は美しかったし、むしろ手のひらに溜まった血が溢れていくときに、新鮮なものを廃棄しているような悲しみに襲われた。まっさらなのは地面ではなく血のほうだと思った。重い肉体は、両手で抱きかかえるのが難しいほどで、背中を膝で支え、首を手で抱いた。本当ならあの夜に知るはずだった重さが、腕を次第に痛めつけていった。
死体に群がる鳥の群れのような人影の隙間から、大理石のうえの私たちが映されていた。手も顔も、服からのぞいている部分はすべて赤く染まって人種すら判然としない二人がいた。最後に一度だけ、意識の消えかかった眼球と目が合った。周囲の騒ぎに埋もれて、私は囁いていた。<いぶき>
全編ほぼ<ファイト・クラブ>での出来事の羅列でした。
文章は読みやすく、よく書けています。
テーマが芥川賞に向いているか、残念ながらそうは思えません。
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