井上荒野の「ママナラナイ」(祥伝社:令和5年10月20日初版第1刷発行)を読みました。
不動産会社に勤める斎藤尚弥は最近、何もかもうまくいかない。下半身も心も折れてしまい、おまけに仕事も絶不調――とある夫婦宅の立ち退き交渉が難航していたのだ。夫人によれば、立ち退きを拒否しているのは夫の方らしい。夫人の協力を得て交渉を続けるうち、思いもよらない事実が判明し――(「ママナラナイ」)。表題作ほか、身体の変化を巡る十編を収録した珠玉の短編集。
解説の杉江松恋は、以下のように言う。
私の体は私を裏切る。
人間は完璧な存在ではないから自分を御し切れない。体は時に枷となり、わが身は不自由さを思い知らせる。思うままに動くという当たり前は、実はとても難しいことなのだ。
井上荒野「ママナラナイ」には、その儘ならぬ体に縛られた人々が主役を務める十の物語が収められている。心とはどのようなものかについての短篇集ということもできる。思い通りにならない体を描くことで、心のありようが浮かび上がってくるのである。
井上短篇では、読者は説明のないままにまず状況の中に投げ込まれる。・・・宙吊りのまま話が進行し、おそらくは人間関係や恋愛模様といったものに由来すると思われるが、正体のよく見えない不全感に気持ちが縛られる。それが井上短篇の基本だ。基調となる心情は不安、漂う空気はひたすら不穏。本書の場合、さらに身体のかすかな変調というものが付きまとう。
目次
ダイヤモンドウォーター
檻
静かな場所
毛布
ママナラナイ
十七年
あの娘の名前
顔
約束
おめでとう
解説・杉江松恋
井上荒野:
1961年、東京生まれ。成蹊大学文学部卒。89年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞を受賞してデビュー。2004年「潤一」で第11回島清恋愛文学賞、08年「切羽へ」で第139回直木賞、11年「そこへ行くな」で第6回中央公論文芸賞、16年「赤へ」(祥伝社刊)で第29回柴田錬三郎賞、18年「その話は今日はやめておきましょう」で第35回織田作之助賞を受賞。
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