小川哲の「君が手にするはずだった黄金について」(新潮社:2023年10月20日発行)を読みました。なんとなく題名だけで選んだ本です。よく見たら直木賞受賞第一作とあります。ぼくは直木賞のことはあまりわかりませんが、とにかく注目を浴び、売れているらしい直木賞作家?
この本、なにを勘違いしたのか、最後の「受賞エッセイ」から読み始めました。
「受賞エッセイ」は、こうして始まります。
山本周五郎賞の最終候補になったという電話を受けたのは、2028年の4月だった。小説家としてデビューしてから二年半くらい経っていて、僕は31歳だった。三月にアルバイトと博士課程を辞めて、小説だけで生活していくことになってすぐのことだ。その日のことはゆく覚えている。月末までに書かなければいけない短編が一本あって、僕はどういう話を書くべきか決めきれず、朝からずっと仕事机の前で頭を抱えていた。
たしかに「受賞エッセイ」はエッセイのようでもあるが、どうもそれとは違うようでもあります。
才能に焦がれる作家が、自身を主人公に描くのは
「承認欲求のなれの果て」。
認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの? 青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。
著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短篇集。
彼らはどこまで嘘をついているのか? いや、噓を物語にする「僕」は、彼らと一体何が違うというのか? いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!
目次
プロローグ
三月十日
小説家の鑑
君が手にするはずだった黄金について
偽物
受章エッセイ
小説を書けば書くほど、小説がわからなくなっていくような気分になることがある。小説にはさまざまな可能性があって、僕にはその可能性のすべてを掬いとることができない。しかし、小説を書いてみなければ、小説の可能性に気づくこともない。小説を書くということは、僕の知らない、僕に届きようのない小説が無数に存在することを知るということでもある。
僕が、自分のことを「小説家だ」と言うことに後ろめたさのようなものを感じていたのは、小説のことがよくわからないからだ。自分でもよくわからないものを職業として名乗ることに、抵抗があったからだ。昔の小説家が、照れ隠しで自分のことを「売文家」と呼んでいたことを知っているが、僕にはその気持ちがよくわかる。「自分で書いた文章を売る」という行為は客観的で、疑いようのない事実だからだ。
「小説家」は僕が選んだ道だ。誰かに強制されたわけでもないし、誰かが望んだことでもない。僕が僕のためにやっていることだ。(「受賞エッセイ」より)
小川哲:
1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)が第三八回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』(2019年)で第162回直木三十五賞候補となる。2022年刊行の「地図と拳」で第13回山田風太郎賞、第168回直木三十五賞を受賞。同年刊行の「君のクイズ」は第76回日本推理小説作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞している。