中村屋サロン美術館で「戸張孤雁の芸術展」を観てきました。
戸張孤雁の芸術展
1882(明治15)年に東京に生まれた戸張孤雁は、中村屋サロンのメンバーの一人です。その中心的存在であった彫刻家 荻原守衛の親友でした。
1910年に急逝した荻原を相馬黒光とともに看取り、その後は荻原の粘土を貰い受けて、本格的に彫刻制作を行っています。
本展は戸張の彫刻作品とともに、デッサン、挿絵、版画、絵画を一堂に会することにより、45歳でこの世を去った戸張の美術界における功績を再確認するものです。
みどころ【展示室1】彫刻
戸張孤雁は、後に彫刻家となる荻原守衛とニューヨークで知り合って親友となりました。帰国後も荻原と深く親交を結びます。新宿の荻原のアトリエや、荻原が毎日のように通って来ていた新宿中村屋にも出入りするようになった戸張は、1910年に急逝した荻原を看取った後、荻原が残した粘土を貰い受け、太平洋画会研究所の彫塑部に入って本格的に彫刻制作を始めました。戸張最後の彫刻制作の年となった1924年に作られた 《淵》 《煌めく嫉妬》《海女》 には、戸張芸術の確かな煌めきが感じられるでしょう。
【展示室2】絵画・挿絵・木版画
彫刻家として知られる戸張孤雁ですが、様々な顔を持っています。 絵を描くことを好んでいた戸張は、1901年に渡米しました。海景画家のウィリアム・トロスト・ リチャーズの学僕となり、ニューヨークのメカニック・インスティテュートやナショナル・アカデミー で挿絵、洋画を学びます。1906年に結核を病んで帰国しましたが、翌年、木下尚江や徳富 蘆花の挿絵を描いています。そして1908年に洋風挿絵研究会を設立し、陰影を活かした写実 的な挿絵を広めようとしました。 また、1912年頃より創作版画の制作を始め、創作版画とは絵画の複製ではなく、木版の特徴 を生かした芸術としての版画を目指します。浮世絵のように絵師、彫師、摺師の3人で行う工程 を基本的には作家ひとりで行う、自刻自刷の作品です。1918年には山本鼎や織田一麿らと 日本創作版画協会を設立し、後に日本版画協会に引き継がれました。
絵画
挿絵
木版画
「戸張孤雁の芸術展」
発行日:2023年9月13日
編集:太田美喜子(中村屋サロン美術館学芸員)
発行:中村屋サロン美術館
- 「中村屋サロン美術館」ホームページ
- 展覧会案内│中村屋サロン美術館 (nakamuraya.co.jp)
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