朝日新聞の「建モノがたり」に、立原道造の「風信子荘(ヒアシンスハウス)」が載っていました。
さいたま市中心部の公園の中、沼のほとりに立つ小さな家には、遠方からも訪れる人がいるという。
「僕は、窓がひとつ欲しい。・・・そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる」
こんな言葉を詩に書いた立原道造(1914~39)は詩人であり、東京帝国大学建築学科の卒業制作が賞を受けた建築家の卵でもあった。23歳の時、週末を過ごす小さな抜爪「風信子荘(ヒアシンスハウス)」を自分のために設計した。
朝日新聞:2023年11月14日
以下、過去の記事から
「風信子荘」銘板
南側から見た「ヒヤシンスハウス」
浦和・別所沼公園の、立原道造の「ヒヤシンスハウス」を観てきました。観に行ったのは、3月22日、日曜日の良く晴れた日でした。
10年以上前からずっと観に行きたいと思っていたのですが、念願かなって、やっと観に行ってきました。
立原道造は、埼玉県の別所沼のほとりに構想を具体化していた自身のための小別荘案「ヒヤシンスハウス」のスケッチを繰り返していたという。
「ヒヤシンスハウス」は、2005年に太田邦夫監修の元、さいたま市の有志団体「ヒヤシンスハウスをつくる会」に所属する建築家らの設計により、実際に別所沼畔に建設されました。
http://www.tachihara.jp/info2-8/index_1.html
立原道造:
(画像はウィキペディアによる)
1914~1939、東京生まれ。詩人。10代から詩や短歌、俳句等の作品を残すが弱冠24歳で急逝。東京帝国大学工学部建築学科在学中に辰野賞を3度受賞している。(丹下健三は1学年下)
南側から見た「ヒヤシンスハウス」
北東側から見た「ヒヤシンスハウス」
北側を向いた書斎と奥にベッド
立原がスケッチした通りに作成した椅子
立原がスケッチした通りに作成したスツール
立原が好んだ(と思われる)錠前
立原が読んだ(と思われる)書籍
立原による「ヒヤシンスハウス」のスケッチ
立原による「ヒヤシンスハウス」のスケッチ
柱の外側につく建具のコーナー
(柱に絡ませない)
柱の外側につく建具のコーナー
(構造と建具の分離)
西側出窓(ベッドの上)
戸袋の空気抜き孔
土台石の上に柱がのる
「HAUS HYAZINTH2」
上:家の東南面を見る
下:沼のほとりより家の西面を見る
「立原道造の夢見た建築」より
「立原道造の夢見た建築」
発行:2016年9月20日第1刷
著者:種田元晴
発行所:鹿島出版会
見果てぬ夢の、続きを見よう
ありのままの風景に溶け込んだ建築を志向し、
昭和初期に夭折した詩人建築家・立原道造。
彼のピュアな「田園的建築観」を通して、21世紀の
僕たちに託したメッセージを感じることのできる一冊。
長岡造形大学准教授・津村泰範
(ざっと斜め読みしました!)
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