ジュンパ・ラヒリの「思い出すこと」(新潮クレスト・ブックス:2023年8月25日発行)を読みました。
これは不思議な小説です。ほとんどの部分を占めるのが詩です。しかもこれが自伝的だというからすごい。
詩集か、エッセイか、あるいは小説か――。円熟の域に達したラヒリの文学的冒険にみちた最新作。
ローマの家具付きアパートの書き物机から、「ネリーナ」と署名のある詩の草稿が見つかった。インドとイギリスで幼少期を過ごし、イタリアとアメリカを行き来して暮らしていたらしい、この母・妻・娘の三役を担う女性は、ラヒリ自身にとてもよく似ていた。――イタリア語による詩とその解題からなる、もっとも自伝的な最新作。
目次
はじめに
伝記のための仮説
本文についての断り書き
窓辺
白くひんやりした窓辺に
思い出すこと
失くしもの
階段を下りる
人知れずわたしを愛してくれる人と
外股で足をひきずっている
数日前に手術を終えて
アルベルト・デ・ラセルダに
どうしていまになっても
マッツィーニ通りの
嵐の夜ベッドにいるとき
工事の足場のないサン・フランチェスコ・ア・リーパ通りは
屋根裏部屋に
ナポリで新聞を探しながら
三足の靴
手の指を使った数え方で
語義
《Aiuole》花壇/《Ambito》区画・切望された/《Anafora》語頭反復
《Follia》狂気/《Da noi》わたしたちのところで/《Forsennato》狂乱の
《Incubo》悪夢/《Innesto》接合/《Invidia》妬み/《Lascito》遺贈
《Obiettivo》目標/《Obrizo》純粋な/《Pennacchio》房
《Perche ‘P’iace》好きな理由/《Quadratura del cerchio》円積問題
《Rendersi conto》気づく/《Rimpianto》悔恨/《Rovistare》探しまわる
《Sbancare》破産させる/《Sbolognare》厄介払いする/《Scapicollarsi》懸命になる
《Scartabellare》ざっと目を通す/《Sgamare》推察する/《Sorprendente》驚くべき
《Squadernare》明示する/《Sbucare》飛び出す/《Svarione》誤字/《Ubbia》迷信
忘却
《想い出》
世代
母がベンガル語の詩を書いていたノートは
きのう母にプレゼントした寝間着
人のからだはたやすくあっさりと
物語の舞台をコルカタの
今夜強い雨音を聞きながら
オクタヴィオ、おまえは
入院している叔父
ここでもノオルの
あの日の電話での
《Aに》
オクタヴィオから贈られたキッチン・クロス
かつてわたしたちの家では
公現祭の日、ローマでは
澄みきった水の中
芸術家だった叔父が
遍歴
どうしても知りたかった
(見たことのない)東海岸沿いを
子どものころの駅にもどり
機内で目を引いた
ボルゴ・ピンティは
ヴェネツィア婦人
ルッツァーティ通り八番地で
わたしはなにをしただろう?
世界一低い場所、死海で
赤く果てしない
昔は空港で胸が躍った
低い放物線を描くイギリスの風景
六歳の息子を
ラヴェンナのホテル
病院はあなたの後ろにあった
ローマを離れるのは
考察
バリスタには言わないが
十一月の終わりは
眠っているとき手を挙げたら
映画館に入る前に
どの行も途切れ途切れで
恍惚とするもの
わたしの世話をするだけで
もちろんわたしもいつかは
今朝の川は
闇さえもじっとしていない
やっかいな仕事
年末の空は真珠層
冬の朝
一瞬のうち
わたしが出発する日なので
注
訳者あとがき
ジュンパ・ラヒリ Jhumpa Lahiri:
1967年、ロンドン生まれ。両親ともコルカタ出身のベンガル人。2歳で渡米。コロンビア大学、ボストン大学大学院を経て、1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞、同作収録の『停電の夜に』でピュリツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。2003年、長篇小説『その名にちなんで』発表。2008年刊行の『見知らぬ場所』でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞。2013年、長篇小説『低地』を発表。家族とともにローマに移住し、イタリア語での創作を開始。2015年、エッセイ『ベつの言葉で』、2018年、長篇小説『わたしのいるところ』を発表。2022年からコロンビア大学で教鞭を執る。
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「停電の夜に」や「べつの言葉で」は読んでいるが、ブログに書いていない。