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古井由吉の「杳子・葉隠」を読んだ!

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古井由吉の「杳子・葉隠」(新潮文庫:昭和54年12月25日発行、平成16年3月25日18刷改版、令和4年4月10日26刷)を読んでみました。

 

古井由吉に関するもので読んだのは、以下の通り。

古井由吉の「われもまた天に」〈遺作〉を読んだ!

大江健三郎×古井由吉「文学の淵を渡る」を読んだ!

 

もちろん「杳子」、名前は知ってはいましたが、50年以上前の作品。読んだ記憶はありません。古井由吉の作品は、僕は「遺作」から読み始めたという変則的なもの。初期の傑作で芥川賞受賞作の「杳子・葉隠」を読んでみました。

 

“杳子は深い谷底に一人で坐っていた。"神経を病む女子大生〈杳子〉との、山中での異様な出会いに始まる、孤独で斬新な愛の世界……。
現代の青春を浮彫りにする芥川賞受賞作「杳子」。都会に住まう若い夫婦の日常の周辺にひろがる深淵を巧緻な筆に描く「妻隠」。卓抜な感性と濃密な筆致で生の深い感覚に分け入り、現代文学の新地平を切り拓いた著者の代表作二編を収録する。

【目次】
杳子
妻隠
解説:三木卓


「杳子」は、こうして始まります。

杳子は深い谷底に一人で座っていた。十月もなかば近く、峰には明日にでも雪が来ようという時期だった。
谷底から見上げる空はすでに雲に低く覆われ、両側に迫る斜面に密生した灌木が、黒く枯れはじめた葉の中から、ところどころ燃え残った紅を、薄暗く閉ざされた谷の空間にむかってぼうっと滲ませていた。河原には岩屑が流れにそって累々と横たわって静まりかえり、重くのしかかる暗さの底に、灰色の明るさを漂わせていた。その明るさの中で、杳子は平たい岩の上に軀(からだ)を小さくこごめて坐り、すぐ目の前の、誰かが戯れに積んでいった低いケルンを見つめていた。

本書「解説」より
この二つの作品はいわば密室の男女のものがたりであり、その意味において、妻隠という言葉はふさわしいといえるだろう。また杳(くら)い子という作中の女性主人公の名は、神経に異常を感じている者のものとして、その者から見た世界の様相を示しているともいえるだろうし、またその女性を見ているパートナーの男性から見たその女性の内部ともいえるだろう。また作品『妻隠』における夫婦の様態に危ういものを予感している主人公の世界認識・把握への不安の意識を示しているといえなくもないだろう。
――三木卓(作家)

古井由吉(1937-2020)
東京生れ。東京大学文学部独文科修士課程修了。1971年「杳子」で芥川賞受賞。その後、1980年『栖』で日本文学大賞、1983年『槿』で谷崎潤一郎賞、1987年「中山坂」で川端康成文学賞、1990(平成 2 )年『仮往生伝試文』で読売文学賞、1997年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。その他の著書に『楽天記』『白暗淵』『鐘の渡り』『ゆらぐ玉の緒』など。2012年『古井由吉自撰作品』(全八巻)を刊行。

 

今から50年以上前の作品、気になったので調べてみました。

第64回 昭和45年/1970年下半期

芥川賞選評

10人の選考委員のうち、7人が二重丸(積極的な賛成)。

ダントツ、圧倒的に支持されていました。支持されたとはいえ、

「杳子」と「妻隠」は評者によって微妙に評価が分かれていました。

 

丹羽文雄

「「杳子」はこの作者の持味が完璧にあらわれている。そのあとで「妻隠」を読んだが、前のあざやかな印象のためにさらに感心した。」「このひとの才能のゆたかさに感心した。「杳子」の世界にとどまるとなると、多少の不安を感じないでもないが、「妻隠」の方向にのびていくとなれば、この作者には洋々たる将来が約束されるような気がする。」

舟橋聖一

「作者の進境がよく見えた。「妻隠」と「杳子」の二作のどちらを受賞させるかについて、論議がわかれ、一票の差で「杳子」に決った。」「私は「杳子」のほうに票を入れた。これを古井の鉱脈とまでは言わないが、私はこの作品に陶酔したのだ。」「同じことをこんなに重複させて書きながら、退屈させないのは、至難の技であると共に個性的である。そこをよく乗り切っていると思った。」

中村光夫

「「杳子」よりも、「妻隠」の方がすぐれていると思い、これを当選作として推すつもりでした。」「「杳子」は(引用者中略)主人公の独り合点な抒情が、そのまま作者によって肯定されているようなところが、終りになるほど露骨になります。」「「妻隠」は、(引用者中略)若夫婦の生活の不安、空しさ、甘さなどが、彼らの肉体の曖昧のように、読者の心にやわらかく浸み透ってきます。」

大岡昇平

「二作(引用者注:「杳子」「妻隠」)では「杳子」の方が、よく書きこまれている。従来この作者の作品は、一本調子にすぎるのが欠点だが、「妻隠」においては、視点の転換、面の交錯が、実にうまく行われている。私はこの方を推したが、むろん「杳子」も授賞の価値は十分である。」「実感派と目されていた委員が、こぞってこの作品(引用者注:「杳子」)を推したのは、興味深かった。」

川端康成

「古井由吉氏の二作のほかに、取りあげる作品が見られなかった」「文藝春秋社内予選で意見が全く二分したので(引用者注:古井氏の候補だけ)二作をあげたというが、一編とできなかったのは不明断、不見識であろう。」「私は選後に「妻隠」を読んでみたが、印象は「杳子」にくらべて微弱であった。古井氏の以前の候補作(引用者中略)でも、私は作者の才質に興味と好意を感じていたので、「杳子」での当選をよろこぶ。」

石川淳

「「杳子」を推す。」「もう一つの「妻隠」のほうは、力がおもうように行きわたらないけはいがする。」「「杳子」は今まですすんで来た道の里程を示す一本の杭のようである。ここから道のけしきがすこしかわって、「妻隠」のほうに出たのだろうか。」「古井君が硬質なことばをもって組みあげるスタイルは、なにかを表現するのではなくて、なにかを突きとめようとするもののごとくである。」

井上靖

「「杳子」と「妻隠」の二作が光っていましたので、最近では珍しいらくな銓衡になりました。」「「杳子」「妻隠」それぞれに特色ある作品で、どちらが選ばれても異存はありませんが、私の場合は「妻隠」の方を推しました。久しぶりに、作者の計算が行き届いている短篇らしい短篇にぶつかった思いでした。」

 


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