古井由吉の「われもまた天に」〈新潮社:2020年9月25日発行〉を読みました。
これが遺作のようです。最後は「遺稿」となっています。2020年2月永眠。
お名前は古くから聞いていましたが、特に「杏子」は芥川賞受賞作ということで知ってはいましたが、いずれにせよ読むのは初めてです。
この本を知ったのは、尾崎真理子の「大江健三郎の『義』」の「はじめに」に書いてあった以下の文です。
本書に取り組んでいる途中、大江と親しい古井由吉の遺作「われもまた天に」(2020年)に収められた「遺稿」最終行に、<自分が何処の何者であるかは、先祖たちに起こった厄災を我身内におうことではないのか>とあるのを読み、心に刺さった。この怖れの感覚が、昭和中期生まれの筆者らにまでは共有されている。
大江と親しい古井由吉、とあります。さっそく大江健三郎と古井由吉の対談本、「文学の淵を渡る」を開いてみると、「明快な難解さ」の項で、「仮往生伝試文」や「楽天記」に比べればやさしいといってもいいかもしれない、郊外に住んでいる若い夫婦のことを連作でお書きになった「夜の香り」が、これまた秀れたものだった。それらの総体として、古井さんの作品は明快で難解だというふうに僕は思います。と語っています。
また「晩年の人間の危機感」として、僕は古井さんと同年輩ですが最初に「先導獣の話」を読んだ時から、若い小説家だと思ったことがありません。作品に出会うたびその年齢としての円熟を表す書きぶりで、しかも当の時どきの危機感を持っていられると感じてきました。
また大江は、古井さんの書かれた(夏目漱石の)「こころ」の解説が好きなんです、という。特に最後の段落。(少し長いですが…。)
「無用の先入観を読者に押しつけることになってもいけないので、この辺で筆を置くことにして、最後に、これほどまでに凄惨な内容を持つ物語がどうしてこのような、人の耳に懐かしいような口調で語られるのだろう。むしろ乾いた文章であるはずなのに、悲哀の情の纏綿たる感じすらともなう。挽歌の語り口ではないか、と解説者は思っている。おそらく、近代人の孤立のきわみから、おのれを自決に追いこむだけの、真面目の力をまだのこしていた世代への。」
どこのどれをとっても、古井由吉の文章は平易で、しかも分かりやすい。
若い小説家にはない「円熟を表す書きぶり」、と大江に評されます。
目次
雛の春
われもまた天に
雨あがりの出立
遺稿
古井由吉:
1937年東京生まれ。東京大学独文科修士課程修了。
ロベルト・ムージル、ヘルマン・ブロッポらドイツ文学の翻訳を手がけたのち、71年「杏子」で芥川賞を受賞。80年「栖」で日本文学大賞、83年「槿」で谷崎潤一郎賞、87年川端康成文学賞、90年「仮往生伝試文」で読売文学賞、97髪「白紙の唄」で毎日芸術首を受賞。「山躁賦」「眉雨」「楽天気」「野川」「辻」「白暗淵」「ゆらぐ玉の緒」「この道」ほか数多の著作を遺して、2020年2月永眠。