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第168回令和4年下半期芥川賞選評を読む!

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第168回令和4年下半期芥川賞選評を読みました。

 

 

文芸春秋の「編集だより」には、以下のように…。

芥川賞は井戸川射子さん「この世の喜びよ」、佐藤厚志さん「荒地の家族」の同時受賞。選考委員の川上弘美さんは前者を「ただただ読書の快楽が降ってくる」、吉田修一さんは「読後、胸に熱いものが込み上げてきた」と評します。描く世界は対照的ですが、日本文学の底力に感銘を受けました。

 

なお、僕が読んだ受賞作二作品。

佐藤厚志の、芥川賞候補作「荒地の家族」を読んだ!

井戸川射子の芥川賞候補作「この世の喜びよ」を読んだ!

 

選考委員

小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、平野啓一郎、堀江敏行

松浦寿輝、山田詠美、吉田修一

 

芥川賞選評

ここでは井戸川射子の「この世の喜びよ」と佐藤厚志の「荒地の家族」の評に限って、要旨のみを以下に載せます。

 

「肉体と言葉」小川洋子

魅力的な個性を放つ候補作がそろう中、最終的に「荒地の家族」と「この世の喜びよ」の二作に丸をつけた。二作はともに、平凡な人間の毎日を描く、という点で共通していながら、全く異なる世界の見え方を示している。「荒地の家族」の主人公は造園業を営む。土を掘り、苗を植える。常に両足は大地を踏みしめ、そこに埋められた死者たちとつながり合っている。彼はあの震災で奪われた命とは何なのか、頭で分析しようとしない。肉体を通して伝わってくるものだけに、心を向ける。だからこそ信用できる。「この世の喜びよ」が特異なのは、何も書かないままに、何かを書くという矛盾が、難なく成り立っている点にある。”あなた”と夫、娘たちの間に秘密の葛藤があるのではないか。おじさんからもらった手作りのパウンドケーキを”あなた”が均等に二つに割る場面が忘れ難い。

 

「実力伯仲の難しい選考」平野啓一郎

「この世の喜びよ」は、V・ウルフ風の「意識の流れ」を二人称で描くという難しい挑戦が成功している。しかし、この内面化された語り手は、主人公・穂賀の生の全面的な承認装置となっており、それが本作のふしぎに光に満ちた自閉性を完結させる。この「あなた」という穂賀への語りかけは、ヤング・ケアラーの少女への「あなた」へと転ずる最後の場面で、彼女の子育てを否定する、唯一の真の他者へと開かれる筈だったが、その対立性は曖昧に吞み込まれ、結局、全篇を貫く自己承認回路へと吸収されてしまう。「荒地の家族」は、震災後十余年を経て書かれるべくして書かれた作品で、候補作中、最も深い感銘を受けた。復興から零れ落ちた人々の生死を誠実なリアリズムで描く半面、スタイル的な新鮮には乏しく、受賞に賛同したが、本作を第一には推さなかった。

 

「正攻法か、ゲリラ戦か」島田雅彦

井戸川射子の「この世の喜びよ」は純文学の王道ともいうべき身辺雑記を独自の光学で描いたもので、自分に二人称で呼びかけ、母親としての、ショッピングセンターの店員としての過去を全面的に肯定する。何処か心地よい室内での日常的営みを大胆な筆致で描いたフェルメールを思い出させるが、技法は正攻法なので、完成度の高いエチュードという印象。佐藤厚志の「荒地の家族」は震災によって失われた土地や風景、コミュニティの再生に取り組む主人公の苦闘のルポルタージュである。人は己が無力を感じながらも、絶望的状況にひたすら耐え、誠実を尽くそうとするその態度によって救われることもある。それを態度価値というのだが、本作のテーマはこれに尽きる。ただ美談はしばしば、現実のネガティブな部分を隠してします。

 

「選評」山田詠美

「この世の喜びよ」。私の読み方と他の選考委員のそれはずい分と違ったようだ。私は、この作品に、そこはかとない恐ろしさを感じたのだった。喪中の女の喪がようやく明けて、そこに福音が待ち受ける。けれど、それを一方的に伝えられるフードコートの少女は、どんな気持ちなんだろう。平易でありながら選び抜かれた言葉が、いっきに不穏さを増す瞬間。狭い世界。逃げ場はもうない。ねえ、これ「喜びホラー」とでも言うべき作品なんじゃない?                                                          しかも、A級。やっpり誤読? 「荒地の家族」。震災を便利づかいしていない誠実さを感じた。そして、同時に、小説のセオリーを知り尽くした書き手だと思った。普通、そういう人はあざとさを感じさせてしまうものだが、この作者は違う。ずるもはったりもない。にもかかわらず、悲痛な日常を描いてなお、小説としておもしろいのである。頭、まっ白になった「逆」浦島太郎に幸あれ、と心から思った。

 

「意味ではなく」川上弘美

井戸川射子「この世の喜びよ」は、あらすじを説明しても、すぐには「素晴らしい作品」とは予想できないような気がします。ところが、いったん読み始めるや、                                                                                                                                                                                               わたしはこの小説の只事の中に引き込まれ、快楽をおぼえ、いつまでも読み終えたくなくなってしまったのです。作品の持つメッセージ性や物語性などよりも、言葉が組み合わされることによって生まれる何か。音楽を聴いた時のような喜び。絵画を観た時のような驚き。意味ではなく感情や感覚。それらを味合わせてくれるのが、井戸川射子の小説なのだと思います。第一に、強く推しました。佐藤厚志の「荒地の家族」は、正視するとつらいさまざまな事々を、つらさの強調にも安易な解決にも向かわせず、公正に描ききるという、胆力の必要な作業を経た作品だと思いました。何とこの作者も力量のある作家なのでしょう。受賞を喜びたく思います。

 

「選評」吉田修一

「荒地の家族」。読後、胸に熱いものが込み上げてきた。フィクション/嘘が必死にもがいて掴みとった本当がここにはあった。誰も悪くない。主人公は思う。あの天災も、その後の苦労続きの人生も、誰が悪いわけじゃないと。ただ、口にするのは簡単なこの言葉を真の意味で受け入れることの苦しさ、悔しさ、寂しさが、本作からは真っ直ぐに伝わってくる。真っ直ぐに伝わってくるのは、そこに生きる人たちが日々を懸命に生き、その日々に執着しているからである。誰も悪くない。彼はこの言葉を受け入れたのだろうか。もしもそうであるならば、私はその勇気に心からの敬意を表したい。「この世の喜びよ」。”男の子たちの、今この瞬間も伸びていっているような脚が台を囲む”。これはゲームセンターにたむろする男の子たちを描写した一文である。なんてことのない情景だが、本作はこのような小説の旨みとしか言いようのない文章に溢れている。

 

「whatとhow」奥泉光

何が書かれているのか(what).。どう書かれているの(how)).。小説の成り立ちを二つの分けて考えてみる。もちろん両者は不可分であるが、whatの方はルポルタージュなどにもあるわけで、つまりhowこそが小説を小説たらしめるといいうるだろう。受賞作となった井戸川射子「この世の喜びよ」は、howへの意識と工夫の点で傑出していた。ショッピングセンターで働く女性主人公をはじめ、本小説のwhatはごく平凡である。にもかかわらず「この世の喜びよ」の表題にふさわしい輝きを一篇が帯びるのは、作者の高い方法意識のなせる業だろう。まずは受賞作たるに十分な技術の錬磨があると考えた。東日本大震災後の世界を正面から描いた佐藤厚志「荒地の家族」は、リアリズムの技法を徹底することで成功した。自分は斬新で魅力のあるhowをなにより小説にもとめる者だが、こうした作品を読むと、リアリズムの伝統は強力なのだとあらためて思わされる。リアリズムの技法は、物語というものが必然的に身に纏う陳腐さを際立たせる危険があって、本作もその難を免れていない極みはあるとは思ったけれど、受賞には賛成した。

 

「突出した作品はなかった」松浦寿輝

井戸川射子「この世の喜びよ」は、ショッピングセンターの喪服売り場に勤める女性とフードコートに通う少女との淡い交流を描く。女性にも少女にもさしたる個性はなく、出来事らしい出来事も起こらない。常同的な人物、常同的な場所、常同的な日々。それにこれほどの言葉費やしてみせるミニマリズの趣向をどう評価するか。佐藤厚志「荒地の家族」は,3・11を生き延びた人々の人生を重厚かつ誠実に描く。この災厄を「風景」の喪失として、これほどなまなましく物語った小説はなかったのではないか。過去の挿話の断片が間歇的かつ反復的に甦ってくる書きぶりが非常に巧みで説得力がある。今回、どれもそれなりに面白く読ませる候補作五篇が並んだものの、文学の未来を拓く野心作としてわたしが積極的に推したい突出した作品は、残念ながらなかった。

 

「恩寵はどこにあるのか」堀江敏幸

荒地は心のなかに巣喰う。佐藤厚志さんの「荒地の家族」では、震災後の荒涼とした海辺だけでなく、記憶を奪う引き波への抵抗が描かれる。造園業を営み、土と木に触れながら、時の流れに隙間を作るまいとする主人公の背筋は硬いままだ。一人息子を遺して逝った妻、流産ののち家を飛び出した二度目の妻、因縁のある同級生や周囲の人々との交わりを経て、彼はようやく竜宮城から持ち帰った筺を開ける。井戸川射子さんの「この世の喜びよ」は、二人称による語りがまず目を惹くのだが、衒いのないその技巧によって、ショッピングセンター内のスーパーにある喪服売り場という地味な空間が、地味のまま輝き出す。大学生と社会人の娘を持つ主人公が、十五歳の少女との交流を通じて脈絡なくたあどり直す記憶は、いつのまにか「あなた」だけのものでなくなっている。

 

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