酒井忠康の「遅れた花 私の写真ノート」(クレヴィス:2022年9月23日第1刷発行)を読みました。
酒井忠康、といえば、僕の中では、中公新書の「早世の天才画家日本近代洋画の十二人」(2009年4月25日発行)です。最も影響を受けた美術関連の本と言えると思います。
「早世の天才画家日本近代洋画の十二人」の「まえがき」には、以下のようにあります。(少し長いが、僕が鉛筆で横線を引いたところからの抜粋)
この本に収録した文章は、大正・昭和の画家たち十二人について書いたものである。・・・この本を編集する段になって再読した印象を正直に言えば、わたし自身が興味と関心をいだいてきた画家たちばかりであるので、わが身に引き寄せて語ったエッセイとなっている印象をつよくした。・・・したがって、これは小さな個人的体験を踏まえて語った、わたしの描いた大正・昭和期の画家たち十二人の肖像画のようなものとうけとってもらえたら嬉しい。・・・さらに気づいたのは、取り上げた画家のほとんどが、いわゆる短命のうちに世を去った「早世」の画家であったということである。十二人のうち比較的長生きしたとおぼしき画家は、萬鉄五郎の四十三歳と小出楢重の四十三歳の二人ぐらいで、村山槐多の二十二歳と関根正二の二十歳となると典型的な「夭折」である。他は全員三十歳代で亡くなっているのである。・・・かならずしも恵まれたとは言えない画家たちの生の条件下で、彼らがその生の限りを尽くして結晶化した作品には、異常なほどの燃焼度の高さを感じさせるものがある。わたしは何よりそのことに心を打たれたのだといってもいい。
ちなみに十二人の画家とは、萬鉄五郎、岸田劉生、中村彜、小出楢重、村山槐多、関根正二、前田寛治、佐伯祐三、古賀春江、三岸幸太郎、靉光、松本竣介、です。
酒井忠康の「遅れた花 私の写真ノート」について知ったのは、朝日新聞読書欄の、横尾忠則の「死んだ時間を甦がえさせるマントラ」を読んだことによります。横尾の書いていることに、すべてが同意はできませんが…。
本の帯には、以下のようにあります。
華やかな展覧会を支え、文化を耕す
学芸の世界で数々の写真展を企画した
美術館の館長による、写真表現の文脈と、
そこにいる表現者たちの交流。
さて、「遅れた花 私の写真ノート」、
幕末・明治から現代に至る、広大な美術の森を渉猟し、近代美術の研究、現代美術の評論活動を重ねた著者が、永年にわたる美術館での展示活動あるいは折々の内外の作家たちとの交流から見えた「写真の世界」を描く随筆集。
学芸員として、そして美術評論家として彫刻や絵画、写真表現の世界に関わり、様々な現代作家たちと交流を重ねてきた酒井氏によって書かれた文章の数々は、歴史、美術館、そして個人としての目線を通じ、確かな知見と親しみを持って日本の写真について語ります。
本書登場作家
下岡蓮杖
エドワード・スタイケン
マヌエル・アルバレス・ブラボ
土門拳
濱谷浩
桑原甲子雄
奈良原一高
田沼武能
酒井啓之
綿引幸造
藤田観龍
石原悦郎
安齋重男
森本洋充
宮本隆司
酒井忠康:
1941年、北海道に生まれる。1964年、慶應義塾大学文学部卒業後、神奈川県立近代美術館に勤務。1992年、同館館長。2004年、世田谷美術館館長に就任し、現在に至る。著書に「海の鎖」(小沢書店)、「覚書 幕末・明治の美術」(岩波書店)、「彫刻家への手紙」「彫刻家との対話」「ある日の画家」「ある日の彫刻家」(以上、未知谷)、「若林奮 犬になった彫刻家」「鞄に入れた本の話」「芸術の海をゆく人 回想の土方定一」「芸術の補助線 私の美術雑記帳」(以上、みすず書房)、「鍵のない館長の抽斗」「片隅の美術と文文学の話「美術の森の番人たち」(以上、求龍堂)、「横尾忠則さんへの手紙」(光村図書出版)ほか多数。
朝日新聞:2022年11月26日
「早世の天才画家」
日本近代洋画の十二人
中公新書
2009年4月25日発行
著者:酒井忠康
発行所:中央公論新社
「彫刻家への手紙」
2003年1月25日発行
著者:酒井忠康
発行所:未知谷
「美術の森の番人たち」
発行日:2020年10月19日
著者:酒井忠康
発行所:株式会社求龍堂
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