松岡美術館で「古代東洋彫刻」を観てきました。
古代東洋彫刻
これらの彫刻群蒐集のスタートは、1964年東京オリンピックの年に取得したガンダーラ「菩薩半思惟像」に始まります。ちなみにこの像姿は京都・広隆寺の国宝弥勒菩薩の祖型と見なされています。
1972年インド中世のヒンドゥー教神像粘板岩の「スーリヤ」、玄武岩の「サラスヴァティ―」と「ヨーギニー」を取得したことを機縁として、翌1973年、80歳の松岡翁はインド旅行に出発しました。コルカタのインド博物館、デカン高原のアジャンター、エローラの仏教遺跡や、ヒンドゥー教の石窟遺跡を、次いでムンバイ湊沖のエレファンタ島仏教石窟遺跡などを見学。その足でロンドンに向かい古美術商からヒンドゥー教神像、クメール彫刻、ガンダーラ彫刻など10数体を購入、その後ニューヨークのオークションや国内でも購入し、現在のコレクションを形成しました。
ある時翁は何故日本の仏像を蒐集しないのかと問われ、「抹香臭くて嫌だ」と答えたことがあります。松岡家の宗旨は日蓮宗ですが、おそらく信仰の対象と美的対象を分けていたのでしょう。
中国仏教彫刻
遺例が少なく仏教彫刻史を辿れるものではないが、北伝仏教と南伝仏教、その双方の彫像的特徴が見られる石灰岩製の如来立像、山西省太原出土と伝えられる腹部を突き出し、やや短躯であるがふくよかな顔容をした隋代の特徴を示す観音菩薩立像。坐像もしくは椅像の頭部であるが、眉、鼻、口元が整い、如来としての威厳よりも菩薩のような柔和な顔容を見せる盛唐期の如来頭部がある。
ガンダーラ彫刻
ガンダーラは、現代のパキスタン・ペシャワール地方の古名である。早くからこの地方に仏教が伝わり、紀元1世紀頃から仏教寺院が建立され、それを荘厳する仏像の多くが石造で作られた。
その仏教美術は、インドの仏教とギリシャ・ローマの彫刻技法に、当時この地方の支配者であったイラン系遊牧民クシャーン族の美意識とが融合して成立したと見られている。
ヒンドゥー教彫刻
インド亜大陸に侵入したアーリア人のヴェーダ以来のバラモン教と土着民のッ信仰とが時代とともに融合して、ヒンドゥー教が成立した。
宇宙の創造を司るブラフマー、破壊を司るシヴァ、維持を司るヴィシュを三大神と位置づけているが、とりわけ後ニ神が民衆の尊崇を集めている。
仏教彫刻が一般に動きの少ない落ち着いた形姿を示すのに対し、ヒンドゥー教彫刻は動きと生気に溢れ、官能性に富み、繫雑なまで細部表現にこだわり、エネルギッシュな造形を見せるところに特徴がある。
「中国仏教彫刻」
「ガンダーラ彫刻」
「インド彫刻」
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