アニー・エルノーの「シンプルな情熱」(ハヤカワ文庫:2002年7月31日発行、2022年10月15日4刷)を読みました。
10月15日に再販が出たばっかりの本。私鉄沿線の駅のそばの本屋の入っつてすぐのところに平積みにされていたものです。ノーベル文学賞受賞とあったので後先考えずに購入しました。なんか気になって、家に帰ってから調べてみたら、Bunkamuraル・シネマで「シンプルな情熱」という映画を観ていました。男優も女優も性器丸出し、エロい映画でした。その時ブログに、この本のこともちょっとだけ書いていました。
「BOOK」データベースによる
「昨年の九月以降わたしは、ある男性を待つこと―彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外何ひとつしなくなった」離婚後独身でパリに暮らす女性教師が、妻子ある若い東欧の外交官と不倫の関係に。彼だけのことを思い、逢えばどこでも熱く抱擁する。その情熱はロマンチシズムからはほど遠い、激しく単純で肉体的なものだった。自分自身の体験を赤裸々に語り、大反響を呼んだ、衝撃の問題作。
「ヌウ・ドウー」(男女間の甘い情熱をふんだんに盛り込むことで有名な大衆週刊誌のタイトルで、「あなたと二人」といった意味)というあの雑誌は、サドにもまして淫らだ。
――ロラン・バルト「恋愛のディスクール・断章」
ロラン・バルトの言葉について、アニー・エルノーはこう説明している。
あの言葉は、私たちのこの社会では、感情の表出、情熱のさらけ出しは、セックスよりもはるかに「挑発的」で、順応主義を逆なでする、という意味なんです。ロラン・バルトが数年前に書いた言葉ですが、今日、ますます現実味を増しています。私の本に少し意義を与えてくれる言葉だと思います。
(「ル・ヌーヴォー・ポリティス」1992年4月号)
「シンプルな情熱」は、以下のようにはじまります。
この夏、私は初めて「カナル・プリュス」(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。・・・ストーリーがわからないから、画面に次に何が映し出されるのか、身ぶりも行為も、予期することができなかった。男が女に近づいた。カメラがアップになり、女の性器が現れた。・・・次に、男の性器が、勃起した状態で現れ、女のものの中へ滑り込んだ。非常に長いあいだ、二つの性器の繰り返すピストン運動が、いくつものアングルで映し出された。ペニスがふたたび現れ、今度は男の手の中にある。そして精液が、女の腹の上に飛び散った。こんな光景もきっと、見慣れてしまえばなんということもないだろう。が、初めて観ると動顚してしまう。
私には思えた。ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へ向べきなのだろうと。
A・エルノーが、1988~89年頃、約一年間にわたって、自宅で、ある特定の男性と昼下がりの逢い引きを繰り返したという。相手の男は彼女より十歳あまりも年下の妻帯者で、東欧のどこかの国から外交関係の任務を負ってフランスを訪れ、限られた期間滞在していた。その実在の人物が誰であるかは、もちろん明らかでない。明らかなのは、彼に対するA・エルノーの恋が、いわゆるロマンスからは程遠い、激しくて単純な、もっぱら肉体的な情熱だったということだ。彼女は、その情熱をいささかもごまかさずに生きた。生きるとは、溺れることではない。その反対である。一見矛盾しているかのようだが、A・エルノーというこの女性は、きわめて現実的な思慮分別をもって、恋の情熱=パッションに燃えたらしい。本書は、本人と思しき「私」によって綴られたかたちの、その記録であり、かつ省察である。
(「訳者あとがき」による)
アニー・エルノー:
1940年、フランス北部ノルマンディー地方のリルボンヌ生まれ。五歳頃から十八歳までの成長期を、小さなカフェ兼食料品店を営む両親のもと、同じ地方のイヴトーという町で過ごした。ルーアン大学卒業後、結婚して二人の息子をもうけたが、やがて離婚し、現在はパリ近郊の町で独り暮らしをしている。教員資格を持ち長年高校教育に従事してきた彼女が作家としてデビューするのは1974年。以後すべて名門出版社ガリマールから上梓し、父を語った自伝的な第四作『場所』(早川書房刊)で84年度ルノードー賞を受賞。ストレートな文体で描く彼女は、現代フランス文学界で最も注目を集めている女性作家の一人である
堀茂樹:
1952年生、フランス文学者、翻訳家
過去の関連記事:
「嫉妬/事件」
2022年10月25日発行
著者:アニー・エルノー
訳者:堀茂樹、菊池よしみ
発行所:株式会社早川書房
(さっそく購入、アマゾンから届いたばかり)
朝日新聞:2022年10月26日