第167回芥川賞選評を読みました。
第167回令和4年上半期芥川賞決定発表
「おいしいごはんが食べられますように」
群像1月号 高瀬隼子
第167回芥川賞は高瀬隼子さんの「おいしいごはんが食べられますように」!
芥川賞候補作品(僕が読んだ順)
5人の候補者全員が女性。
全部、珍しく文芸雑誌で読みました。
高瀬隼子の芥川賞候補作「おいしいごはんが食べられますように」を読んだ!
選考委員
小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、平野啓一郎、堀江敏行
松浦寿輝、山田詠美、吉田修一
芥川賞選評
受賞作「おいしいごはんが食べられますように」を中心に、選評の要旨を拾い出します。
山田詠美:
「世相と時代の怪」。「おいしいごはんが食べられますように」。私を含む多くの女性が天敵と恐れる「猛禽©瀧波ユカリさん」登場!彼女の空恐ろしさが、これでもか、と描かれる。思わず上手い!と唸った。でも、少しだけエッセイ漫画的既視感があるのが残念。
わからないので「臨死!!江古田ちゃん」、ウキペディアで調べちゃいましたよ。
島田雅彦:
「おいしいごはんが食べられますように」は、埼玉の事業所という閉鎖空間を舞台に奇妙な三角関係と食のポリシーを軸とした駆け引きの推移とキャラクターの変容を追う。語りは、仕事はできないが、料理上手の芦川に意地悪をする後輩の押尾と食べることに関心がない二谷による二元中継になっている。人物設定を意図的に類型化しているのだが、可愛くて料理上手の、いわば特性のない女が総取りするという脱力の結末に向かう行程を面白がるか、首を傾けるかで評価は分かれた。
小川洋子:
職場、家庭、学校等々、閉じられた狭い空間での人間関係を描く候補作が集まる中、唯一「家庭用安心坑夫」のツトムだけが、独自の居場所を確保していた。・・・受賞作に推しきれなかったのが、残念でならない。・・・「おいしいごはんが食べられますように」で最も恐ろしいのは芦川さんだ。その恐ろしさが一つの壁を突き破り、狂気を帯びるところにまで至っていれば、と思う。
松浦寿輝:
「冷酷な視線」。候補作五篇のうち高瀬隼子の「おいしいごはんが食べられますように」がずば抜けて面白い。閉じた小集団内部での人間関係の力学が繊細な筆致で活写され、どこか横光利一「機械」を思わせる。・・・圧倒的に凄いのはいつもにこにこしている「芦川さん」の人物像の造形だ。この女が疎ましいだのいやらしいだのとは、作者はひとことも言っていない。・・・打算的な女と煮え切れない男を突き放して見ている作者の視線は冷酷だが、同時にその距離感によって二人を優しく赦している気配もある。・・・「おいしいごはんが食べられますように」と並んで、「ギフテッド」のという可能性も浮上すれば積極的に支持するつもりでいたが、そうならなかったのは残念である。
吉田修一:
「おいしいごはんが食べられますように」。誰も我慢しなくて済むようにとの思いから生まれたっはずの多くのコンプライアンスの中で、だれが一番我慢を強いられているのか?を競うコンテストのような物語として読んだ。結果的にみんな五分五分で、スッキリした勝敗はつかなかったが、この絶妙なバランスが多面的に描かれている。キャラクターも生っぽくて魅力的だし、その関係性も身近な風景で読みやすい。・・・前作に引き続きの筆力は確かである。
平野啓一郎:
「おいしいごはんが食べられますように」は、退屈な日々の中で、自覚的/無自覚的に自己愛が強く、社会的な「食のハビトゥス(磯野真穂)」を最大限活用することで他者からの承認を巧みに調達する芦川と、同じく自己愛的でありながら完全に自足的であるが故に、そうした「食のハビトゥス」を目の敵にしている二谷、そして、二谷のように自足できず、さりとて芦川のようにも振る舞えない押尾という三人の微妙な関係を描いている。生のルーティンの懐疑という前作以来の主題は、より複雑化し、緻密になった分、インパクトはやや低下したが、作者の着実な歩みが評価されたことは喜ばしい。・・・私自身は、今回は「家庭用安心坑夫」を推した。
奥泉光:
今回の候補作はそれぞれに読みどころがあり、甲乙つけるのが難しと思われ、実際、最初の投票では票がばらけて、しかしなかで高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」が比較的に高評価を得、自分もこの作品を推した。どこにでもありそうな職場の、珍しくもない人間模様を描いた本作は、一人称と三人称の二つの視点を導入することで、人物らの「関係」を立体的に描き出すことに成功している。・・・構成はもちろん、言葉の一つ一つにまで行き届いた、細部への油断ない配慮があってはじめてそれは可能になる。一見は平凡に見えて、本作は野心的な作品といってよく、作者の方法への意識の高さをなにより評価した。
川上弘美:
二つの作品に〇をつけました。第一の〇は、「おいしいごはんが食べられますように」。会社の同僚である「二谷」と「押尾」の二人の語り手が登場するのですが、語られる中心は、二人の同僚の「芦川」。この人物が、ほんとにもう、おそらく読者全員をいらいらさせる存在。・・・わたしは読みながら、芦川と二谷に心を奪われてしまった。押尾も、もちろん好き。周囲のほかの同僚たちも面白い。やがてかれら全員が、簡単にはほぐれない一つの球体をなして、どんどん輝きを放ってくる。これはいったいどういうことなのか?たぶん、この小説の中の人たちは、生きているのです。第二の〇は、「N/A」。・・・この小説の語り手は、言葉の表層だけではなく、そこに本当に存在している人間としての実感を込めて、何かを拒否しているように感じられたのです。
堀江敏幸:
高瀬隼子さんの「おいしいごはんが食べられますように」は、会社内の群像劇に一対一の関係を入れ込むのではなく、一対一の関係が多対一に溶けて不気味に広がり出す過程を巧みに描き出す。読後、登場人物の名を個々の発言と一体化する形で思い出せるのは、平坦に見えて切れ味のよい起伏のある言葉の効果だろう。芦川という女性の「使用不可」感の凄みが際立つのは事実だが、・・・他のどこからも「入手不可」で「ないがしろにできない」ものとして徹底されているところに、あとをひく旨味があった。
朝日新聞:2022年7月27日
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