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長尾重武の「小さな家の思想 方丈記を建築で読み解く」を読んだ!

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長尾重武の「小さな家の思想 方丈記を建築で読み解く」(文春文庫:2022年6月20日第1刷発行)を読みました。

長尾重武の読んだ本は、下に挙げておきます。

 

あきさんのブログ、方丈庵、ちょっとだけ出てきます。

暑いよー!新平家物語と方丈記

鴨長明の「方丈記」

晩年の作品ですが、安元の大火は彼が24歳のときのこと

それならちょっと読んでみようかと青空文庫の中を探しました

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。…

(青空文庫より)

と始まる文章

なるほど、短いながらその時代の京都の大火や大竜巻、飢饉などの大災害のことを簡潔で無駄がなく、しかも克明に描いていて

そして晩年に京都郊外の日野山に

現代のリモートワーク的にたった5畳ほどの「方丈」に住み

世の諸行無常を謳い、身の振り方を語るその文章

なんだかスウッと我が身に沁み込んでいくような心地良さがあります

 

以下、下賀茂神社のホームページより

下鴨神社公式ホームページ

鴨長明の方丈庵(復元)

鴨長明の方丈庵(復元) (tabi-mag.jp)

 

京都府京都市左京区、下鴨神社(賀茂御祖神社)の第一摂社で、糺の森(ただすのもり)に建つ河合神社の境内にあるのが鴨長明の方丈庵(ほうじょうあん/復元)。鴨長明(かものちょうめい)は、下鴨神社(賀茂御祖神社)の禰宜(ねぎ)・鴨長継の次男で、晩年を暮らしたという方丈を復元したもの。

下鴨神社(賀茂御祖神社)の禰宜・鴨長継(かものながつぐ)の次男として生まれたの鴨長明は、神職を志す傍らで琵琶や和歌を学び、宮廷歌人としても活躍。


父の跡を継いだ河合神社禰宜・鴨祐兼(かものゆうけん)が鴨長明の禰宜就任に強く反対(我が子を禰宜に就任させています)、神職の継承に失敗し、元久元年(1204年)、大岡寺(だいこうじ/現・滋賀県甲賀市水口町)で出家し、蓮胤(れんいん)を名乗っています。
洛北大原に隠棲して4年を過ごし、建暦元年(1211年)、日野に移って草庵を結んで隠棲(京都市伏見区醍醐日野、日野山の山中に方丈の庵跡の碑が立っています)。
隠棲時代、日野山の山中に築いた草庵が、一丈四方(方丈=およそ3m四方で5畳半ほどの空間)の小庵で、安元3年(1177年)の都の火災、元暦2年(1185年)に都を襲った文治地震などをここで日々記録し、その日記が有名な『方丈記』(鴨長明が自ら『方丈記』と命名)です。
元暦2年(1185年)の地震では、「また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震ふること侍りき。そのさまよのつねならず。山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にたゞよひ、道行く馬はあしの立ちどをまどはす。」と、「海は傾きて陸をひたせり」という大津波を思わせる記述もあり、現在では歴史学的にも注目される日記になっています。
河合神社の境内にある庵は、日野山山中の方丈庵を復元したもので、広さは方丈、高さは7尺、土居(木組みの枠の土台)に屋根を葺いただけの簡素のものなので、移動も簡単だったと推測できます。
これは、下鴨神社(賀茂御祖神社)の社殿が、長元9年(1036年)から21年一度の式年遷宮の制度が確立し(実際には戦乱、地震などで30年、50年に1回だったことも)、それをヒントにしたともいわれています。
河合神社の復元された方丈庵は、中央に囲炉裏が切られ、机の上の法華経が置かれ、鴨長明の隠棲の様子が分かる仕組み。
鴨長明が没したのも、建保4年閏6月10日(1216年7月26日)、方丈庵でとされています。

 

「鴨長明」

 

「方丈庵(復元)」

 

さ~て、ここからが本題。

長尾重武の「小さな家の思想 方丈記を建築で読み解く」(文春文庫:2022年6月20日第1刷発行)を読みました。

 

人生の締めくくりを

過ごすなら、

どんな家がいいですか? 

古典が教える「自分にとって必要最小限の、

居心地のいい家での暮らし」のヒント。

 

「小さな家の思想 方丈記を建築で読み解く」
たび重なる災害、突然の失踪・・・そんな「世の無常」を描いた古典「方丈記」は「終の棲家」としての方丈庵を作るまでの「家」の物語でもあった。鴨長明が家に込めた想いをたどりつつ、自分のとって本当に必要なものだけで形づくる「小さな家」の可能性を探る。

 

方丈庵の基本構造(長尾訳)

日野山の奥に隠棲した後、庵を結んだ。東に三尺余りの庇を出して、芝や小枝を折って火にくべる所とした。南に竹の簀子を敷き、閼伽棚をつくり、北に寄せて衝立でへだてて、阿弥陀如来の絵像を安置し、そばに普賢菩薩を懸け、前に

「法華経」を置いた。東の端には蕨の伸びたものを敷いて、夜の床とした。西南に竹の吊棚を構えて、三つの黒い皮籠を置いた。そのなかに和歌・管弦・往生要集などの抜書きを入れた。かたわらに、琴・琵琶をそれぞれ一つずつ立てている。いわゆる折琴・継琵琶である。かりの庵の有様――。

 

 

目次

はじめに

第一章 「人と栖(すみか)」の無常―「方丈記」のあらまし

第二章 鴨長明の生涯

第三章 方丈庵に持ち込まれたモノ

第四章 方丈庵ができるまで―プロトタイプと完成形

第五章 再生の地、日野山

第六章 「方丈記」のルーツ

第七章 方丈庵を継ぐもの―数寄の思想

第八章 江戸期の小さな家―芭蕉・良寛・北斎

第九章 ソローの「森の家」

第十章 現代の「小さな家」

おわりに

参考文献

 

長尾重武:

1944年東京都生まれ。武蔵野美術大学名誉教授。1967年、東京大学工学部建築学科卒業、1972年、同大学院博士課程単位取得満期退学。工学博士。東京大学工学部助手、東北工業大学建築学科助教授を経て、武蔵野美術大学建築学科教授、同大学学長を務めた。専門はイタリア建築史。詩人として「同時代」同人。著書に「建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ」(中公新書)、「ローマ イメー ジの中の『永遠の都』」(ちくま新書)など。詩集に「きみといった朝」、「小さな楽園」(いずれも思潮社)。

 

「新訂 方丈記」

岩波文庫

1989年5月16日第1刷発行

2022年4月26日第50刷発行

校註者:市古貞次

発行所:岩波書店

 

手持ちの長尾重武関連の本:

 

「建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ ルネッサンス期の理想都市像」

中公新書

1994年8月25日発行

著者:長尾重武

発行所:中央公論社

 

「イタリア・ルネッサンスの建築」

SDライブラリー

発行:1991年3月10日

訳者:長尾重武

発行所:鹿島出版会

 

「ミケランジェロのローマ」

建築巡礼5

昭和63(1988)年8月30日発行

著作者:長尾重武

発行所:丸善株式会社

 

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