山下絋加の芥川賞候補作「あくてえ」を読みました。
「あくてえ」はこうして始まります。
あたしは日頃から、あくてえばかりつく。「あくてえ」は、悪口や悪態といった意味を指す甲州弁で、たとえば東京生まれ東京育ちのあたしが、周囲の人間に「あくてえ」と言っても、大抵の場合意味は通じない。けれどあたしからすれば悪口のことを、あくてえと言う方がしっくりくる。耳が先にそっちの言葉を覚えたからだ。母親が幼少期にCDで流した英語はちっとも耳に馴染まなかったのに、幼い頃から生活を共にしてきたばばあの話す、方言と独自の言語が入り交じった下品でやぼったい言葉遣いは全身で吸収し、気がつけばあたしの一部になっていた。「ばばあ」という自分の祖母に対する呼称も、あたしなりのあくてえで、ばばあのまえでは「ばあちゃん」と呼びながら、陰では「ばばあ」と侮蔑を込めて呼んでいる。
九十歳の誕生日を迎えたばかりのばばあは、来月、白内障の手術を控えている。ここ最近は、仕事を終えて帰ればその話題で持ちきりだった。生まれつき声のでかいばばあと、耳の遠いばばあのために声を張らなくてはいけないきいちゃんの声は、いつもマンションの二部屋先まで響いている。リビングのカーペットに膝をつき、ソファに座り込むばばあの顔を下から覗き込むようにして説得に励んでいたきいちゃんは、おかえりぃ、と掠れた声であたしに向き直る。「お義母さんがね、手術受けたくないって言いだすのよ。ゆめからも何とか言ってあげてくれない?」。
登場人物はほぼこの三人。ばばあときいちゃんとわたしです。それに加えて離婚した親父が・・・。進行役はほぼわたし。
きいちゃんは首からかけた黄色いエプロンで二の腕を隠す。黄色が好きだから、きいちゃん。本名は沙織だけど、きいちゃん。母親だけど、きいちゃん。ママとかお母さんとか沙織ちゃんとか、色んな呼称を経て「きいちゃん」に辿り着いた。この0呼び方が、他のどんな呼び方よりも、いちばんしっくりくる。友達親子なんて言葉があるけれど、あたしときいちゃんもおそらくそれに近い。親に対する敬意や畏怖の前に、対等であるという感覚が強い。
何かを発端にあたしとばばあがいがみ合ったり憎しみあったりして険悪なムードになろうと、家庭の中で揉め事が起ころうと、深刻な問題にまで発展してこなかったのは、三人の間に通底する奇妙な明るさや楽観性に加え、鳩の帰巣本能のように、戻るべき場所に戻ろうとする習性が働いているような気がしてならない。
やせ細り、ほとんど骨と皮みたいな風貌にくわえ、聴力が低下しているのに、ばばあの声にはあたしやきいちゃんよりもずっと張りがある。「お金のことはお母さんが心配しなくても大丈夫ですよ。私がなんとかするので」。ばばあの身体の衰えが顕著になったこの一年ほど、あたしやきいちゃんは、寝る時間、飽きる時間、食事の時間、パートの時間など、すべてばばあに合わせた生活スタイルだ。離婚する前は、親父に尽くし、親父の生活スタイルに合わせたいた。きいちゃんはいつも自分の時間を誰かの為に使って生きている。自分の時間を、自分のためだけに使うことを決してしない。
今のきいちゃんも、日々忙しない。朝はばばあを起こしてトイレに行かせ、オムツの交換と着替えをさせ、朝食を食べさせ、迎えにきた施設職員に引き渡し、パートが終わったらその足で掛かりつけの病院に薬をもらいに行き、家に帰ったら、ばばあの為に減塩に仕上げた夕食の準備をし、食べさせ、片付け、寝かせる。ばばあが自力でできることは、食って寝て排泄することだけだ。あいつはひとの時間も食って生きている。
「そういえば、八月に送ったのは、いつ発表されるの?」。きいちゃんは、あたしが自分の小説を送った文学賞の話をしているのだ。あたしは小説家になりたかった。小説家になりたかったが、小説家になるための小説を書きたくなかった。二度目の落選で、あたしはまた振出しに戻ったように感じた。あたしは焦っていた。「・・・発表、もうすぐかな」「楽しみだね、合格発表」「合格って、受験じゃあるまいし」「ゆめは小さい頃から文章が上手かったから、きっと小説家になれるよ」。きいちゃんの言葉を曖昧に笑って受け流す。来年は成人を迎える娘を、きいちゃんは無条件で認める。何もかも、全肯定してくる。
「ハズレくじひいたね」。なぜきいちゃんに向かって急にそんな言葉を吐いたのか、自分でもよくわからなかった。浮気して子供まで作って出ていった男と結婚しただけでもハズレなのに、別れた後もその男の母親の面倒を見るなんて、ハズレもいいところ。
親父と連絡がつかなくなったのは、ばばあが退院してひと月ほど経った頃だった。毎月あたしの銀行口座に振り込まれる生活費の入金がなく、LINEで催促の連絡をいれたが、一週間経っても既読すらつかない。電話やメールを入れても一向につながらなかった。すぐにきいちゃんに報告すると、もう少し待ってみようと返答がある。それからひと月経っても親父からの連絡はなく、次第に様子がおかしくなっていった。「ゆめちゃん、千円貸してくれたりしないよね?」などと頼み込んでくる。
親父からの送金が途絶え、日に日にやつれていくきいちゃんと、それとは対照的に元気で盛んにお喋りするばばあの顔を見るのが嫌で、だんだん帰宅が億劫になった。しかし、嫌なことばかりではなかった。派遣の更新月の前に、勤務先の会社から、正社員として雇用してもらえることが決まったのだ。
あたしか書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。優しくしようと穏やかな気持ちで思った直後に殺したいほどの憎しみが襲ってくる。家族三人で決意を固めた翌日には、三人で死んでしまえたらと本気で思う。
現代のさしせまって切実な問題を、面白おかしくまとめています。が、果たして、芥川賞か、と言うとちょっと疑問です。