NHK「100分deパンデミック論」のなかで、4人の論者のうち、小川公代がヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を取り上げていました。再放送もあり、そして別冊NHK100分de名著「パンデミックを超えて」にもなりました。
ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」は、過去に読んでブログに書いたことがあるので、手を加えず、以下にそのまま再掲します。
集英社文庫から出たヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を読みました。本の帯には「20世紀モダニズム小説の傑作、待望の新訳を文庫化」とあります。1998年7月に単行本で出版された新訳版が文庫化されたものです。過去に角川文庫から出ている古い翻訳は、そうとう難解なようで不評を買っていたようです。僕らは外国の文学を日本語で読むので、いい翻訳に出会いたいものです。といっても、比較の対称がありません。光文社では「カラマーゾフの兄弟」の「古典新訳文庫」で大いに話題になり、また売れているようで、「車輪の下で」や「赤と黒」も続いて刊行されているようです。この新訳文庫の「ダロウェイ夫人」、2007年8月25日第1刷とあり、僕は出てすぐ買いましたが、なかなか読み始めるに至らず、12月始めにやっと読み終わりました。「めぐりあう時間たち」をNHK・BSで再び観たときに、このブログで記事にしました。
ヴァージニア・ウルフ(Woolf Virginia 1882‐1941)とは、どういう人なのか、以下に掲げておきます。イギリスの作家、批評家。ロンドンに生まれる。知的、芸術的家庭環境に育つ。母が病死した13歳のときに、初めて精神の病の徴候が現れ、生涯にわたりつきまとわれた。兄トービーが友人と開き、のちに著名な作家、芸術家、思想家を輩出するブルームズベリ・グループと呼ばれる集まりに参加、兄の死後、中心的役割を果たす。1941年ウーズ川に入水し、59歳の生涯を閉じる。
そこで問題は、「20世紀モダニズム小説」とは何か、です。建築の世界では「モダニズム建築」、つまり「近代建築」という言い方は概ねはっきりしていますが、僕は文学の世界でもこんな言い方があるのは始めて知りました。「近代小説」とでもいうのでしょうか、まあ、僕が知らなかっただけで、その世界では常識なのでしょうが。そういえば、「新感覚派」と呼ばれた横光利一の文体は映像的な文章表現であり、モダニズム小説に当たるのかもしれません。
さて、20世紀モダニズム小説の傑作である「ダロウェイ夫人」の内容ですが、「内容情報」によると、以下の通りです。1923年、6月のある水曜日。第一次世界大戦の影響が残るロンドンでクラリッサ・ダロウェイは、自宅で開くパーティのため、花を買いに街に出る。瑞々しい生命力に溢れるロンドンを歩きながら、ダロウェイ夫人の意識は青春時代と現在を自在に行き来し、心に無数に降りそそぐ印象を記す。あらゆる過去の一日が充満した一日を「意識の流れ」の手法で、生、死、「時」を描いたモダニズム小説の代表作。
ヴァージニア・ウルフは「自序」において、「この本は一つの方法によって意図的に生み出された作品だ」としながらも、「読者が本書の方法ないし方法の欠如について考えないことを望みたい」といいます。そして「伝統的リアリズム小説」に自分は不満を持ち、「精神の神秘的な過程に出来る限り正直であろうと」して、「本は一切のプランなしに日ごとに、週ごとに成長していった」といいます。この辺りが「意識の流れ」的手法なのでしょう。1923年6月のある水曜日のたった1日を、ダロウェイ夫人の意識が過去と現在を行ったり来たりして、文章を「意識の流れ」の手法で書いたものであり、方法は方法として「本の全体が心に残す効果のみ感心をもっていただきたいのだ」と自信を示しています。「意識の流れ」とは、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」をさしていう文学上の一手法です。
この「ダロウェイ夫人」は、1923年6月の半ば、クラリッサ・ダロウェイが、自宅でパーティを開くことになっている朝から、パーティが終わる夜までのたった1日の物語です。「ミセス・ダロウェイは、お花はわたしが買ってくるわ、と言った」で、この物語は始まります。しかし、ダロウェイ夫人の意識のなかには、あらゆる過去が浮かび上がって、これらが物語に差し挟まれます。登場人物それぞれが微妙に関係し、そして見事に描かれています。
過去とは、ひとつは1890年代初期のある日、クラリッサの屋敷に、恋人のピーター・ウォルシュ、旧友のヒュー・ウィットブレット、結婚することになるリチャード・ダロウェイ、そしてクラリッサが同性愛的感情を寄せていたサリー・シートンなどが集まったある夏の日のこと。その時にクラリッサはピーターを拒絶して、リチャードと結婚することを決意した日でもあります。「若いときのサリー・シートンとの関係。あれは結局、恋愛だったのではないだろうか?」ともクラリッサは告白しています。セックスについても、社会問題についても、クラリッサはサリーから学びます。カバーをかけなければならなかったけれども、ウィリアム・モリス(1834-1896)の本をもらったりします。この物語はあのモリスと同時代だったんですね。「どうすれば世界を改革できるか」と、私有財産を廃絶するための団体をつくろうとしたりもします。サリー・シートンに会えることで「いま死ねば、このうえなく幸福だろう」と、シェイクスピアのオセロのセリフを持ち出したりします。
そしてもう一つの過去とは、5年前に終わったばかりの第一次世界大戦(1914年から18年まで)のことです。主たる筋はミセス・ダロウェイの流れですが、もう一つの流れ、つまり副筋、セプティマス・ウォレン・スミスの流れがあります。第一次大戦に赴いたセプティマスは、同性愛的感情で結ばれた上官エヴァンズの戦死を体験し、帰国後、シェルショック(戦争神経症)を患っています。彼は「現実」を感じられなくなっています。そして自分を療養所に隔離しようとする精神科医(いやな感じのサー・ウィリアム)から逃れたくて、アパートの窓から飛び降り自殺します。
「軍隊にいた青年が自殺した」と、パーティに遅刻してきたレイディ・ブラドショーからその話はもたらされます。これを聞いて、「一日一日の生活のなかで堕落や嘘やおしゃべりとなって失われてゆくもの。これをその青年は守ったのだ」とクラリッサは思います。「死は挑戦だ。死はコミュニケーションのこころみなのだ。死には抱擁があるのだ」と、自分の心と重ね合わせて思います。結局は「毎日一緒に暮らす人についても、わたしたちいったいなにがわかっているのかしら?私たちはみんな囚人。誰もが壁を引っ掻いているんだって」、それが「人生の真実」だって、サリーに言わせるに至ります。
これらの流れに、クラリッサの一人娘エリザベスと、その家庭教師ドリス・キルマンが絡んできます。どちらかというと無神論者のミセス・ダロウェイとは対照的に、熱心なキリスト教徒で、ことあるごとにミセス・ダロウェイとおおいに意見を異にします。
「のちにミセス・ダロウェイの分身として意図されることになるセプティマスは最初の構想に置いては存在していなかったこと。ミセス・ダロウェイはもともと自殺するか、あるいはたんにパーティの終わりに死ぬ予定であったこと」と、ヴァージニア・ウルフは「自序」で述べています。
ヴァージニア・ウルフのモダニズム小説の代表作「ダロウェイ夫人」、400ページもある本なので、いつ読み終えるか分かりませんが、「めぐりあう時間たち」を観たことで、読み出せばすらすら読めそうな気がしてきました。と以前書きました。読むには読みましたが、20世紀初頭に書かれた「ダロウェイ夫人」、僕のような読み手にとっては、なかなか一筋縄ではいきません。手に余るものがあります。女性印象派の画家、ベルト・モリゾ(1841-1895)とほぼ同時代です。(僕の感じでは印象派の手法と、意識の流れ的な手法は、近いものがあるのではと思います)。ウルフは大学へ行くことを許されなかったという時代に育ちました。男性中心主義の価値観を批判し続けたそうです。おそらくウルフはレスビアンだったのではないかといわれています。ウルフが13歳に時に母親が亡くなり、その頃から精神病の兆候が現れ、生涯にわたって自殺の衝動を常に伴い、結局は、1941年、ウルフは川に飛び込み59年の生涯を自ら閉じました。
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「パンデミックを超えて」
2022年7月5日第1刷発行
発行所:NHK出版