昨日の朝日新聞に「田沼武能さん死去 世界の子どもたち撮影 93歳」と出ていました。
「共感と励まし レンズ通し」という勝又ひろしさんの評伝が出ていました。また、黒柳徹子さんは「子供を撮ったら世界一」と、コメントを寄せています。
朝日新聞:2022年6月3日
以下、世田谷美術館で開催された「田沼武能写真展」の記事を再掲します。
タイトルは「田沼武能写真展 東京わが残像1948-1964」です。
この展覧会、僕も大いに感動したので、写真集を購入し、ブログにも多くのページを割きました。なにしろ子どもたちの顔が素晴らしい。
世田谷美術館で「田沼武能写真展 東京わが残像1948-1964」を観てきました。
懐かしい写真が次々と出てきて、感動しました。
展覧会の構成は、以下の通りです。
第1章 子どもは時代の鏡
第2章 下町百景
第3章 忘れ得ぬ街の貌
第1章 子どもは時代の鏡
第2章 下町百景
第3章 忘れ得ぬ街の貌
「田沼武能写真展 東京わが残像1948-1964」
終戦直後から活躍し、90歳を迎える今も第一線で精力的に活動を続ける写真家・田沼武能(1929-)。田沼は1949年に東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業後、名取洋之助主宰のサン・ニュース・フォトスに入り、木村伊兵衛の助手として写真修行をスタートしました。「芸術新潮」の嘱託写真家として昭和を代表する文化人の肖像写真連載で注目を集めたのち、アメリカのタイム・ライフ社と契約、世界中を取材撮影しフォト・ジャーナリズムの分野でも頭角を現します。1984年からは黒柳徹子ユニセフ親善大使の援助国訪問に毎回同行するほか、これまで120ヵ国以上で子供の写真を撮り続けるなど、幅広い分野で活躍しています。
そんな田沼が文化人肖像や世界の子どもとともにライフワークとしているのが、下町を中心とした「戦後東京」の写真です。浅草の写真館に生まれた田沼は、東京大空襲で生家を焼き出され逃げ惑う体験をしました。その時の鮮烈な記憶が自身の写真家としての原点になっているといいます。本展では、終戦直後の廃墟から出発し、さまざまな矛盾を内包しながらも再生を目指し激しく変貌した東京の、オリンピックに至るまでの諸相をとらえた写真を「子ども」「下町」「街の変貌」の3つの視点から紹介します。
「世田谷美術館」ホームページ
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/
田沼武能写真集
東京わが残像1948-1964
図録
2017年10月31日第1刷発行
著者:田沼武能
発行:株式会社クレヴィス
「せたがやの文化人」
図録付録
朝日新聞:2019年3月12日
朝日新聞:2019年4月4日