朝日新聞の文化欄に、「日本文学 英語圏で読まれる訳」と題して、川上未映子の「ヘヴン」を取り上げています。
世界的に権威のある文学賞の一つ、英国のブッカー国際賞が26日(日本時間27日)に発表される。最終候補6作に、川上未映子さんの小説「ヘヴン」の英語版が入った。
「ヘヴン」は2009年に講談社から刊行された長編小説。いじめを受けている14歳の男子中学生の視点で、善悪の固定観念を揺さぶる。・・・選考委員の言葉として「強烈で、閉塞感の漂う作品。中学生のいじめの物語でニーチェの道徳批判を実践した」と紹介されている。
朝日新聞:2022年5月24日
過去の関連記事:
過去に川上未映子の「ヘヴン」の読後感をブログに書いたことがあります。
最近はいい加減に書いていた読後感、昔はけっこう一所懸命に書いていました。13年前の記事です。以下に再掲します。
川上未映子の「ヘヴン」を読んだ!
2009年10月21日
川上未映子の「乳と卵」を読んだのは、2007年12月、「文学界12月号」でした。実は、文学界新人賞を受賞した楊逸の「ワンちゃん」を読むために、ふだんは買わない「文学界」を買ったわけです。そこにたまたま「創作」として、川上未映子の「乳と卵」が掲載されていて、偶然に読みました。その時にこのブログに次のように書きました。「ずば抜けた才能を証明した川上未映子の『乳と卵』、ここで密かに第138回芥川賞に推しておきます。とはいえ、芥川賞の候補作もまだ、発表されてはいませんが」。
それがなんと芥川賞を受賞したというわけです。もちろん、僕が推したから受賞したというのではありませんが。2007年デビュー作「わたくし率 イン 歯―」が、第137回芥川賞候補作、そして2008年、2作目の「乳と卵」で第138回芥川賞を受賞したというから、凄いとしか言いようがありません。そして3作目、初の長編小説が「ヘヴン」というわけです。初出は、400枚一挙掲載した「群像」2009年8月号です。感性で書いてきた感が強い川上未映子が、彼女の最大の武器である大阪弁を振り捨て、全編を標準語で貫き通し、2年をかけて書き上げた力作です。
中学2年生の「僕」が、斜視を理由に「ロンパリ」となじられて、同じクラスの二ノ宮とその取り巻きたちに、日常的に執拗ないじめを受けています。そんな「僕」に手紙が舞い込みます。貧乏で不潔だとしていじめを受けているコジマという女生徒からで、2人は手紙がのやりとりを続けて、次第に心を通わせるまでになります。共に、家族関係がうまくいっていないという事情を抱えています。コジマは離縁した父親を忘れないための「しるし」に、髪の毛もぼさぼさで風呂へもろくに入らないようにしていると言います。
やがて2人で一緒に美術館へ行って、「ヘヴン」という絵を観るまでになります。コジマは「僕」に「わたしたちはただ従っているだけじゃないんだよ。むしろ強さがないとできないことなんだよ」と言います。そして斜視である「僕」の目が好きだと言います。また自分たちがいじめを受けていることに対して、苦しみを、弱さを受け入れたわたしたちこそが正義なのだと言い、ぜんぶのことをわかっている神さまがどこかにいるとも言います。しかし、2人に対してのいじめはますますエスカレートしていきます。
二ノ宮の仲間でいじめに加担している百瀬は、「なんで、君たちはこんなことができるんだ。どうして、あんな無意味なことができるんだ」と問い詰める「僕」に対して、「権利があるから、人ってなにかするわけじゃないだろ。したいからするんだよ」と平然と答えます。「べつに君じゃなくたって全然いいんだよ。誰でもいいの。たまたまそこに君がいて、たまたま僕たちのムードみたいなものがあって、たまたまそれが一致したってだけのことでしかないんだから」と、「僕」に言います。
「なあ、世界はさ、なんて言うかな、ひとつじゃないんだよ。みんながおなじように理解できるような、そんな都合のいいひとつの世界なんて、どこにもないんだよ。そういうふうに見えるときもあるけど、それはただそんなふうに見えるというだけのことだ。みんな決定的に違う世界に生きてるんだよ。最初から最後まで。あとはそれの組あわせでしかない」と、百瀬は続けます。
二ノ宮たちに「人間サッカー」でぼこぼこにされた「僕」は医者に行くと、医者から斜視の手術をすすめられます。斜視の手術のことをコジマに打ち明けると、「君は、なにもわかってない」と激しくなじられます。「その目は、君のいちばん大事な部分なんだよ。ほかの誰でもない君の、本当に君をかたちづくっている大事な大事なことじゃない」と言い、「僕」が斜視だったからわたしたちはこうやって会えたのに、どうして君はそれをなくすなんて、そんなことが言えるの?とまで言われてしまいます。コジマは泣き出し、「わたしからも逃げたいと思ってるんでしょう」と言い、そして「わたしは、やめないから」と鼻をすすり上げて涙を流します。
それがあってからしばらく2人は会うことがありませんでしたが、ある時コジマからいつもの「くじら公園」で会いたいという手紙が来ます。喜び勇んで「僕」が公園へ行きコジマと会うと、なぜかそこへ二ノ宮たちが現れて、「僕」は裸にさせられて、コジマとセックスするように命じられます。「僕」がコジマを解放してくれと懇願すると、コジマは自ら裸になり背筋を伸ばしてほほえみながら、二ノ宮の取り巻きたちに迫っていきます。得体の知れない強さにささえられた顔のコジマが立っていました。彼らはコジマの迫力に圧倒されて逃げ出します。折しも雨が降り出します。それでも残った二ノ宮と百瀬は、執拗にセックスするように迫ります。そこへ通りがかった中年の女性に見られて、いじめが行われていたことが露見してしまいます。
それ以来、「たったひとりの、僕の大切な友達」だったコジマに、「僕」は会っていません。「僕」はいじめを受けていたこと、この1年近くに「僕」の身に起こったことを母親に話します。そして中学へは行かないこと、斜視の手術を受けることを自分で決断します。斜視の手術代金は、たったの15000円ぐらいだと医者は言います。斜視の手術は成功して、退院して病院を出て、眼帯を外したときに見えるものは、「僕」が想像もしなかった光景でした。「僕」の目からは涙が流れつづけ、そのなかではじめて世界は像をむすび、世界には奥行きがあった。世界には向こう側があった。「映るものはなにもかもが美しかった。しかしそれはただの美しさだった。誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない、それはただの美しさだった」。
斜視は「僕」が「僕」であることとコジマは言いましたが、「僕」は斜視の手術を受けることを選んだということです。そのことでコジマは僕の前からいなくなった、大切な友を失ったということになります。まったくの当てずっぽうですが、「こんなふうな苦しみや悲しみにはかならず意味があるってことなのよ」と語るコジマは、実は「神さま」なのではないか、遠藤周作が描くところの「おバカさん」なのではないかと思ってしまいました。
「二者の対立の中で、小説の構造上、語り手の『僕』はどちらのチームにもコミットできるフラットな立場に置いた。書きたかったのは、強者と弱者のせめぎ合いの運動。強いとは何か。弱いとは何か。普段、うのみにしている価値観が何に根ざしているのかを問い、それに社会全体が動かされていることが滑稽だと言うことを示せたら、世界に角度がつく」と、川上未映子は言います。
川上未映子:略歴
1976年8月29日、大阪府生まれ。2007年、デビュー小説「わたくし率イン 歯ー、または世界」が第137回芥川賞候補に。同年第一回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞受賞。2008年、「乳と卵」(文藝春秋)で第138回芥川龍之介賞を受賞。2009年、詩集「先端で、さすわさされるわそらええわ」(青土社)で第14回中原中也賞受賞。2010年、長篇小説「ヘヴン」(講談社)が紫式部文学賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。 2013年、詩集「水瓶」で高見順賞を受賞。他の著書に「すべて真夜中の恋人たち」など。
過去の関連記事:今までに読んだ川上未映子の作品
川上未映子の「すべて真夜中の恋人たち」を読んだ!
川上未映子の「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」を読んだ!
川上未映子の「ヘヴン」を読んだ!
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