佐伯一麦の「石の肺 僕のアスベスト履歴書」(岩波現代文庫:2020年10月15日第1刷発行)を読みました。
その前に佐伯一麦の「アスベストス」を読んでいます。
鎌田慧の「自動車絶望工場」を読んで、すぐにこの佐伯一麦の「石の肺 僕のアスベスト履歴書」を思い出しました。ずいぶん前のことになります。佐伯一麦の主要な作品はほとんど読んでいます。映画化されたものも観ています。電気工をしていたこと、アスベストに汚染されていたことなどは、よく知っていました。
以下は、「アスベストス」を読んだときに書いたものです。
佐伯一麦には「石の肺 僕のアスベスト履歴書」という著書があります。僕は、「石の肺」は購入してありますが、まだ読んではいません。巻末の「13年前のあとがき」には以下のようにあります。
本書は、単行本としては今から13年前に出た、ぼくにとっては唯一のノンフィクションとなります。2005年6月にクボタショ ックが起きたのがきっかけとなって、取材とともに執筆に取りかかり、2007年に刊行されたものです。アスベストと関わりを持つこととなった半生の履歴とアスベスト禍を追った本書を、クボタショックから15年となる区切りの年に、版元をかえて再刊していただく運びとなりました。
ぼくは純文学を書いている作家です。そのぼくが、なぜアスベスト禍についてのルポルタージュを書くのか、けげんに思う方も大いにちがいありません。実はぼくは、1984年にデビューをして作家となる以前から、飯の種として電気工をしており、作家になった後も10年間は二足の草鞋を履いていました。その電気工をしていたときに、アスベスト禍にあい、アスベスト曝露によっておこる胸膜炎(当時は肋膜炎と言いました)をおこし、筆一本になることを余儀なくされました。(「石の肺」はじめに)
アスベスト禍を追ったノンフィクションとして発表した「石の肺」は、自身の体験と関係者への取材による事実の記録を心がけた。いっぽう、本書「アスベストス」は、取材での見聞から喚起されたフィクションとして読んでいただければさいわnいである。(「アスベストス」あとがき)
佐伯一麦:
1959年、宮城県仙台市に生まれ。仙台第一高校卒業。上京して雑誌記者、電気工などさまざまな職業に就きながら、1984年「木を接ぐ」で「海燕」新人文学賞を受賞する。1990年「ショート・サーキット」で野間文芸新人賞、翌年「ア・ルース・ボーイ」で三島由紀夫賞。その後、帰郷して作家活動に専念する。1997年「遠き山に日は落ちて」で木山捷平文学賞、2004年「鉄塔家族」で大佛次郎賞、2007年「ノルゲNorge」で野間文芸賞、2014年「還れぬ家」で毎日芸術賞、「渡良瀬」で伊藤整文学賞それぞれ文学賞を受賞。
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