吉阪隆正展
ひげから地球へ、パノラみる
2022年3月19日(土)-6月19日(日)
東京都現代美術館で、
建築家・吉阪隆正(1917-1980)の展覧会を開催します。
吉阪隆正は戦後復興期から1980年まで活躍した建築家です。「考現学」の創始者として知られる今和次郎や近代建築の巨匠ル・コルビュジエに師事し、人工土地※の上に住む住宅《吉阪自邸》、文部大臣芸術選奨(美術)を受賞した《ヴェネチア・ビエンナーレ日本館》、日本建築学会賞を受賞した《アテネ・フランセ》、東京都選定歴史的建造物に指定された《大学セミナー・ハウス 本館》などを手掛け、コンクリートによる彫塑的な造形を持った独特の建築で知られています。
“建築というものは、世界で相互理解するための一つの手がかりではないだろうか”―吉阪隆正の講演より
一方で、建築だけにはおさまらない領域横断的な活動に取り組み、地球を駆け巡ったその行動力から、建築界随一のコスモポリタンと評されてきました。本展サブタイトル「ひげから地球へ、パノラみる」は、吉阪による造語を組み合わせたものであり、地域や時代を超えて見渡すことなどを意味する“パノラみる”と、自身の表象であり等身大のスケールとしての“ひげ”、そして個から地球規模への活動の広がり、という意味を込めました。本展は吉阪隆正の活動の全体像にふれる公立美術館では初の展覧会となります。
展覧会構成
第1章:出発点
吉阪の生い立ちや原体験、今和次郎やル・コルビュジエとの師弟関係を紹介し、地球を巡る活動の軌跡を辿る
第2章:ある住居
“大地は万人のものだ” 設計活動の拠点でもある人工土地の《吉阪自邸》を紹介し、建築の思想に迫る
第3章:建築の発想
吉阪隆正とU研究室による建築作品の構造模型、現場写真、図面などから形を発見する
第4章:山岳・雪氷・建築
積雪環境や雪氷に関する研究、山小屋やホテルなどの山岳建築の作品を展示する
第5章:原始境から文明境へ
アラスカ・アフリカへの探検・紀行と世界の住居、世界中を旅した記録などを紹介する
第6章:あそびのすすめ
吉阪によるダイアグラムとスケッチによって、作画による表現と記号的アイデアの源泉を探る
第7章:有形学へ
提唱した『発見的方法』『有形学』を解説、吉阪研究室による都市計画/地域計画を総覧する
宙に浮かぶ「メビウスの輪」
1/1の人物入り断面図
なんだ、これは?木造立体遊具?
名作「大学セミナー・ハウス」の粘土模型
カラフルな壁は、代表作の色から抽出、寸法はモデュロール。
「吉阪自邸」1955年
「ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館」1956年
「江津市庁舎」1962年
「大学セミナー・ハウス本館」1965年
「大学セミナー・ハウス」配置図
「U研究室アトリエ」1973年
吉阪隆正
吉阪隆正:
1917年東京生まれ。’33年ジュネーヴ・エコール・アンテルナショナル卒業。’41年早稲田大学建築学科卒業。今和次郎に師事し、農村や民家の調査に参加。「生活学」や「住居学」の研究を行う。’50年に戦後第1回フランス政府給付留学生として渡仏し、ル・コルビュジエのアトリエに2年間勤務。設計実務に携わり、ドミノシステムの実践やモデュロールの理論など、モダニズム建築の流儀を現場で学ぶ。’54年早稲田大学助教授、’59年に教授となる。’54年には設計アトリエである吉阪研究室(後にU研究室に改称)を設立し、本格的な建築設計を開始する。《吉阪自邸》(1955)、《浦邸》(1956)、《ヴェネチア・ビエンナーレ日本館》(1956)、《江津市庁舎》(1962)、《アテネ・フランセ》(1962)、《大学セミナー・ハウス》(1965-)などが代表作となる。世界各国の大学や会議に招聘されるなど国際的に活躍する一方、’70年には《21世紀の日本列島像》で内閣府総合賞を受賞するなど、新しい社会や環境、未来へ向けた集住とすがたを提言した。「住居学汎論」「ある住居」「生活とかたち―有形学」など多数の著作があり、師であるコルビュジエの著作も数多く翻訳、日本での普及に努めた。山岳建築や地域計画を手がけ、「人間―環境」の往還を強く意識し、環境や地形、気候に抗わない設計を行なうなど、ポストモダニズムを超越した建築思想に回帰した。’60年フランス学術文化勲章受章。日本建築学会会長、日本生活学会会長、日本山岳会理事、日本雪氷学会理事などを歴任。冒険家・アルピニストとしては’57年早稲田大学赤道アフリカ横断遠征隊を指揮し、キリマンジャロ登頂では女性隊員の登坂の歴史を開く。’60年早大アラスカ・マッキンレー遠征隊では隊長を務め、ヒマラヤK2遠征隊も組織した。
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