ミニシアターの道 開いた岩波ホール
東京・神保町の「岩波ホール」が7月で閉館する。1980年代のミニシアターブームに道を付け、その後もアート映画の”聖地”であり続けた。
朝日新聞:2022年2月7日
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以下、僕が岩波ホールで最初に観た「山野郵便配達」を再掲します。
中国映画「山の郵便配達」を、NHKBSで観ました。観るのは今回で2回目です。この映画、2001年4月7日より岩波ホールで公開、とあります。公開早々に岩波ホールへ観に行った記憶があります。入れ替え制なので前の回が終わるまでは長蛇の列でした。なんとか館内に入れたものの座席が無くなり、係員が急遽予備の椅子を一番前に並べてそこで観ました。まあ、立ち見よりはいいかもしれませんが。
映画を見た後に本も買って読んだなと思い探してみたら、本棚の奥から「緑色」の表紙の本が出てきました。単行本「山の郵便配達」(集英社、2001年3月31日第1刷発行)は、どうも映画の公開に合わせて発売したようですね。著者は1953年生まれのポン・ヂエンミン、短編小説の名手のようです。この本には6編の短編小説が載っています。その表題作、「山の郵便配達」の原題は「那山 那人 那狗」といい、「あの山、あの人、あの犬」という意味のようです。どうして「あの犬」が入っているのか?それはさておき、これが映画の原作です。8ページから42ページまで、たった35ページの短編です。BSで映画を観てから、本を一気に再読してしまいました。
本の帯には、「家族をとりもどす間の絆。感動の涙が心を洗う」、そして「ここには懐かしい日本人の原風景がある。」とあります。父と息子、息子と母、妻と夫の関係をじっくりと描くことで、家族のあり方を問い掛けています。そして「絆」というテーマが悠久たる中国の大自然の中に叙情豊かに綴られています。さて、ここから映画「山の郵便配達」に入るわけですが、もうほとんど言い尽くされていますので、今更の感がありますが、余韻が残っている間に書き留めておきましょう。
80年初頭の中国・湖南省西部の山間地帯。長年、責任と誇りを胸に郵便配達をしてきた男にも引退の時が近づいていた。ある日、男はその仕事を息子に引き継がせるため、息子とともに自らの最後の仕事へと出発する。それは一度の配達に2泊3日を要する過酷な道のり。重い郵便袋を背に、愛犬を連れ、険しい山道を辿り、いくつもの村を訪ねる。父は多くを語らず、黙々と仕事をこなすなかで、道筋や集配の手順、そしてこの仕事の責任の重さと誇りを息子に伝えていく。父に対して少なからずわだかまりを抱えていた息子も、そんな父の背中を見ながら、徐々に父への思いを新たにしていくのだった。
と、まあ、そのような「あらすじ」ですが、小説も映画も素晴らしい。が、どちらかというと、今回は映画の方が勝ち。映像が伴って初めて言わんとしている感動が伝わってきます。残念ながら小説だけではその良さがいまひとつ伝わりません。もちろん、原作あっての映画ですけど。朝日新聞の「天声人語」(01年3月25日)は、次のように書いています。「親子とは何か。生きるとは、どういうことか。そんな問いかけもあるようにも思うが、いや、どうでもいい。映画も短編も、実にすがすがしい。虚飾を取り去った人間に触れたからに違いない。」と、絶賛しています。
画面の「緑色」がなんとも素晴らしい。山々の濃い緑、田圃の鮮やかな緑。目に快い自然だが、急な崖地もあり、橋のない川を渡らなければならない個所もあります。重い郵便物を背負って1日40キロも歩かなければなりません。父親の仕事の過酷さが次第に息子にも判ってきます。足の悪い父親を負ぶって川を渡り、焚き火で冷えた体を温め手いるときに、思わず「父さん」と言うことばが息子の口から出ます。その前では大きな水車が絶え間なく回り続けます。
田園で出会ったトン族の美しい娘に、二人は一族の結婚式に招待され、息子と娘は言葉を交わし、踊ったりします。それを見た父親は、自分の若い頃のことを思い起こします。息子の母親であり自分の妻との出会いは、やはり配達の途中でした。いつか息子も、自分と同じように、この娘と恋をして結婚するかもしれない。この仕事を継いだからには、自分と同じように、家は不在がちになり、家族には寂しい思いをさせてしまうだろう。そんな思いが父親の胸に迫ってきます。2番目の夜、一つの布団の中で、疲れて眠る息子の顔を眺める父親の幸せそうな顔は、見るものを感動させます。
この映画の扱っている時代は、わずか20年前のことです。あるいは、今でもそうなのでしょう。中国の山間部、「山の郵便配達」が、いまだに重い荷物を背負って、急な山道を徒歩で配るという、旧態依然の方法が採られているという事実には驚かされました。これからも息子は、父親と同じやり方で仕事を続けていくのであろうか?聴きながら歩く息子のラジオを取り上げる父親。こんな山奥までラジオの電波が届くのかどうかはさておき、時代は大きく変わっています。単に「懐かしさ」を賛美し、「日本人の原風景がある」とするだけで、果たしていいのだろうか、疑問の沸くところです。