朝日新聞:2022年2月9日
町田康は「我が身を捨てた先の私小説」のなかで、下記のように言う。
西村賢太氏の各世界は、作者独自の西村賢太にしか書けない世界で、所謂、「一般受け」をするようなものではなく、これは他の誰にもなし得ないことであると思われる。
以下に、以前ブログにアップした、西村賢太の芥川賞受賞作「苦役列車」を再掲します。
西村賢太の「苦役列車」(新潮社、2011年1月25日発行)を読みました。著者紹介によると、西村賢太は、1967年7月、東京都江戸川区生まれ。中卒。2007年「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞。刊行準備中の「藤澤清造全集」(全5巻別巻2)を個人編輯。著書に「どうで死ぬ身の一踊り」「二度はゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」「瘡瘢旅行」「随筆集―私小説書きの弁」「人もいない春」等がある、とあります。
「苦役列車」の本の帯には「友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心に慰めに、その日暮らしの港湾労働で生計を立てている19歳の貫太。或る日彼の生活に変化が訪れたが・・・。こんな生活とも云えぬような生活は、一体いつまで続くのであろうか――」、「昭和の終わりの青春に渦巻く孤独と窮乏、労働と因業を渾身の筆で描く尽くす表題作」とあります。
芥川賞受賞作の「苦役列車」は、朝日新聞(2011.1.18)によると、「ほとんど無一文の主人公が、日雇いで知り合った若者に友情を感じるが、彼とその恋人に、酔って醜態をさらしたことから疎遠になる。展望を見いだせない若者の行き場のない苦悩を描く」とあります。選考委員の島田雅彦は「愚行自慢の伝統芸」と評したという。また「社会や政治のせいにさえもできず、まわりの人に悪態をつくろくでなしの典型」を描くことに賛否両論があったが、「独特のユーモアに裏打ちされた完成度の高い芸風」を評価する委員も多く、最終的には過半数の票を得たという。
西村貫太は記者の質問に答えて「自分より駄目なやつがいると思って救われる人がいればいい。思い出すと恥ずかしく、考えると腹が立つようなことしか書けない」と答えています。「きょう受賞が決まった瞬間は、誰とどこにいましたか」という記者の質問には、「自宅で。そろそろ風俗行こうかなって(笑い)。行かなくてよかったです」と答えていました。「ほぼすべてがフィクション」という朝吹真理子の作品とは対照的に、西村貫太は「小説での出来事は9割以上は本当」と言います。
「苦役列車」の主人公、北町貫太は10日ばかり前に19歳になっていたが、未だ相も変わらず日雇いの港湾人足で生計を立てていた。中学を出て以来、まったく進歩もなく日当5500円のみにすがって生きる、不様なその日暮らしの生活を経てていた。江戸川区の外れ、浦安よりの町で生まれ、家は2代続きの零細運送店、両親は短気で激情型の性格で、ひとたび怒り出したら最後、貫太に加えられる折檻は暴行レベルでした。貫太もまたそんな両親の性質を引き継いで、何かと云えばカッと激し易く、自分より弱い相手に対しては粗暴なふるまいに及ぶところがありました。
大学はおろか、高校にさえ進学しなかったのも、単に自業自得な生来の素行の悪さと、学業成績の飛び抜けた劣等ぶりがその原因です。それに加えて、すでに戸籍上は他人となっていますが、実の父親が性犯罪者として逮捕され、それが新聞に顔写真入りで報道されたりしました。担任の教師は「貫太は何も悪いことはしていない。悪いことをした脳はお父さんの方だから、絶対に一緒に考えないで、恥じることなく堂々としていなさい」と励まされたりもしました。しかし、どう歯を食いしばって人並みな人生コースを目指そうとしても、性犯罪者のせがれだと知られれば、途端にどの路だって閉ざされようとのあきらめからでもありました。
なんとかありついた仕事は、履歴書提出の必要がない年齢不問の上に給料日払いの「埠頭での荷物の積み下ろし」でした。貫太がはじめて体験した肉体労働は、冷凍のイカやタコなど、30キロもある板状の固まりを木製のパレットに移すだけの、ひたすら重いばかりで変化のない単調な仕事でした。この作業内容で5500円、夕方になると昼に支給された弁当代の200円を天引きした日当を受け取ります。今思えば、ルーズきわまりない日雇いシステムの味を、はじめに知ってしまったのが、その後の貫太の生活態度のつまずきの元でした。
或る日、荷役会社のマイクロバスに乗り込んだときに、若い男が「これ、どこに行くんですか」と貫太に訪ねてきました。この男、日下部正二という名で、「ここでの仕事は、長いんですか」と話しかけてきました。貫太は昭和42年生まれ、日下部は43年だけど2月の生まれで学年は同じ。日下部は生まれも育ちの九州で、今年から専門学校に行ってるという。貫太が中卒だと云うことも、日下部は意にも介さない。貫太には日下部が実にうらやましいものに思われました。自分は同い年のくせに、毎朝人足に出向くか出向くまいかさんざん悩み、出てくるにしても渋々のていで出てくるのでした。日下部に比して、自分は何んと薄みっともない男であろうかと、恥ずかしい思いに駆られるのでした。
貫太は日下部に激しく魅かれ、こちらからすり寄って友人にしてもらいたい、得難い相手に出会った思いでした。日下部と毎日顔をつきあわせているうちに、帰り道に共に酒を飲むようになります。割り勘ですが、同い年のものと語り合いながらの酒は殊の外うまく、何とも言えぬあたたかい楽しい時間でした。根が寂しがりにできている貫太は、毎日のように一杯誘い、日下部もたいていの場合はつきあってくれるので、彼はますます日下部と云う男が気に入ってしまいます。半月ばかりすると、まじめに働いていたせいか、貫太と日下部は倉庫内での作業を手伝わされるようになります。
暇な日にはフォークリフトをコンパクトにしたプラッターの操作方法を教えてくれます。貫太は回転式のハンドルを回す操作もおざなりでしたが、日下部は要領を飲み込み、フロア内を楽々走行し出し、次の段階の爪の上げ下げなどのレバー操作の教えも受け始めます。倉の手伝いをするようになると、それまでの仕出し弁当ではなく、その倉庫の社員食堂でとることが許されます。なんと云ってもぬくい飯と熱い味噌汁というのがこたえられず、2杯程度ならおかわりもできます。「同じ人足でも偉い違いが生じるもんだな」と、貫太は日下部に小声でささやきます。
ひと月を過ぎると、日下部には無二の親友のような態度で接し、いかにも心腹の共に対するそれらしき度合いを深める一方でした。次第に酒だけではなく、安風俗へも繁雑に行を共にするようになります。当然、家賃の支払いは滞ったりします。家主からは部屋を引き払うように云われたりします。貫太が頼れる相手は日下部しかいません。「しばらくおめんところに泊めてくれねえだろうか」と切り出すと、「それはちょっと無理だよ」と言下に拒否されてしまいます。結局、貫太は日下部から5万円借りて、安い3畳一間に移り住みます。9月に入り就労を続けながら実技試験に合格した日下部は、本格的に冷蔵庫の「倉番見習い」となります。貫太は取得を辞退したことによって、また屋外作業の人足に戻ります。そうなると社員食堂は使えず、ケチな箱弁をあてがわれる身分に逆戻りしました。
日下部はどこか貫太に対する態度によそよそしいものを表すようになっていきます。また一緒にソープへと誘っても「俺、つきあってる子がいて、その子に悪いから、しばらく風俗へ行くのは止めとくよ」と、日下部は意外なことを言って断ります。「畜生。山だしの専門学校生の分際で、いっぱし若者気取りの青春を謳歌しやがって」と、貫太の口から呪詛が洩れます。ふと貫太は妙案を思いつきます。日下部の恋人の女友達の中に、男がいなくてそれを欲している手頃な者はいないだろうかと思い至ります。「そうだ、日下部に頼み、その彼女に友人を紹介してもらえばいいんだ」と。
日下部が野球好きなのは聞いていたので、次の日曜日に後楽園に行くことを提案、水道橋駅頭で待ち合わせをします。期待を胸にふくらませている貫太の前に、日下部とその彼女が現れます。その女は10人並みの範疇からは間違いなく脱落する形貌の女でした。化粧っ気もなく、髪も幽霊みたいで顔色も悪く、学歴、教養主義の家庭に育ったもの特有の、我の強い腹黒さがありありと透けて見える、あらゆる意味での魅力に乏しい、いかにも頭でっかちなタイプの女でした。試合の途中で駅付近の居酒屋に席を移すと、その彼女も自分のことをあれこれしゃべり出します。
彼女は山陰地方の出身で、慶応だかの学生で、この5月に日下部と知り合ったらしかった。しかし、次第に日下部とその彼女の会話に取り残されたかたちの貫太は、劣等感からどんどん妙な方向へと屈折していきます。貫太は、2人がまるで違う人種であることをハッキリ覚ります。「なんだ、てめえ! 女の前で高尚ぶるんじゃねえよ! 馬鹿の学生人足の分際でよ!」と絶叫します。それでも貫太は、店から出た後に彼女に今度友だちを紹介してくれるようにしつこく繰り返し依頼します。ぺこぺこと頭を下げたりしますが、最早ヤケの心境からでしかありません。
この時の酔態が因となって、日下部はこれ以降、貫太との酒のつきあいを断るようになってしまいます。得てしてインテリと云うのは自分より劣っているを、下等な者だと錯覚している節がある。貫太の目には、日下部もその彼女もその種の思い上がった生物であり、それに対する嫌悪は、貫太の中では徐々に暴力の衝動を伴う憎しみへと変化してゆくようでもありました。日課の自慰に日下部の彼女を使ってやることにしました。性犯罪者の素地たる血が、自分のなかにも確と流れているらしき事実を改めて認識すれば、貫太は慄然とした思いにただただ打ちひしがれてしまうのでした。
生活とも云えぬような自分の生活は、一体いつまで続くのであろうか。こんな余りにも無為無策なままの流儀は、一体いつまで通用するものであろうか。それを考えると、貫太は自らの幾末にとてつもなく心細いものを覚えます。そんなよしな事を茫漠と考え、ウッ曲した気分に沈殿していた貫太は、仕事を定時で上がると宿の近くでしたたかにコップ酒を呷るのでした。次の日、プラッターの指導をしてくれた上司が爪の操作を誤り、パレットをひっくり返してしまいます。床に散らばった冷凍食料を積み直す仕事を命じられた貫太は、それを足蹴にしてしまいm、上司と暴力沙汰になり、責任者から向後の出入り禁止を申し渡されてしまいます。日下部からは「俺より先に止める結果になったな。まあ元気でな」とあっさりと言い放されてしまいます。
別の荷役会社に移ってはいたものの、日払いを頼りに、露命をつないでいた貫太の状況は、まったく進歩も変化も見せていませんでした。「最早誰にも相手にされず、また誰からも相手にされず、その頃知った私小説作家、藤澤清造の作品コピーを常に作業ズボンのポケットにしのばせた、確たる生来の目標もない、相も変わらずの人足であった」と、結んでいます。
西村賢太は、芥川賞受賞の賞金は、尊敬する大正期の私小説作家、藤澤清造の全集を個人編集で刊行する費用にあてるという。
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