リリアナ・セグレの「アウシュヴィッツ生還者からあなへ 14歳、私は生きる道を選らんだ」を読みました。
映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を批判していると思われる箇所は・・・。
映画「ライフ・イズ・ビューティフル」はナチスの強制収容所の様子を描いていますが、あの場所に夢などありませんし、家族のドラマなんてありません。
彼が描いたように物事が運ぶなんてことはあり得ないことなのです。
小さな子供は働けないので、収容所に着くとすぐに殺されました。生き延びているのはとても奇妙です。ドイツ兵がくまなく探しているので、隠れていられるというのは不可能です。子供がおやつをもらって、ドイツ兵の子供と一緒にピクニックに行くなんてありえません。収容所の中でスピーカーを使って妻と会話するというのも不可能な話です。
強制収容所でありえたこと、可能だったことは死だけでした。あの映画の中で事実と呼べるのはそれだけです。
子供が母親と再会するというのは希望を感じさせるとても美しい場面ではありますが、それはハッピーエンドのおとぎ話としての結末にすぎません。
「アウシュヴィッツ生還者からあなへ 14歳、私は生きる道を選らんだ」
P51- P52
事実はそうだとしても、僕は必ずしもセグレさんの言う通りだとは思いません。映画は映画です。
つい先日、NHKBSで放送していた「ライフ・イズ・ビューティフル」は、
シネマ「ライフ・イズ・ビューティフル」
2021年12月7日(火) 1:00PM(1H57M) NHKBSプレミアム
以下、過去の記事を再掲します。
ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演の「ライフ・イズ・ビューティフル」を観ました。NHKBSで放映していたのを、録画して観ました。
シネマ「ライフ・イズ・ビューティフル」
2月1日(月) 9:00PM(1H58M) NHKBSプレミアム
名作だということで、今まで何度となく観ましたが、子供を使った反戦映画といった僕の偏見で、結局最後まで観ることはありませんでした。
しかし、今回は違いました。しっかり観ましたよ。ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品、いや、素晴らしかった。奥さんが綺麗だし、子役が可愛い。子どもがいるから成り立つんですね、この映画は。偏見はよくないですね。
『ライフ・イズ・ビューティフル』(日本語訳:人生は美しい、原題:La vita è bella、英題:Life Is Beautiful)は1997年のイタリア映画。ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演作品。第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)を、ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品である。
以下、KINENOTEによる
解説:
収容所に送られたユダヤ人の父親が幼い息子を生きながらえさせるためにとった意外な作戦をぺーソスあふれるタッチで描いた感動作。監督・主演は「ボイス・オブ・ムーン」(主演)「ジョニーの事情」(主演・監督)のイタリアを代表する喜劇俳優ロベルト・ベニーニ。脚本はベニーニと「ジョニーの事情」「宣告」のヴィンチェンツォ・チェラーミ。製作はエルダ・フェッリ、ジャンルイジ・ブラスキ。撮影は「ボイス・オブ・ムーン」「死と処女」のトニーノ・デリ・コリ。音楽は「ボイス・オブ・ムーン」のニコラ・ピオヴァーニ。美術・衣裳は「インテルビスタ」のダニーロ・ドナーティ。共演はベニーニ夫人で彼の作品でコンビを組むニコレッタ・ブラスキ(「ミステリー・トレイン」)、新人のジョルジオ・カンタリーニ、「時の翼に乗って ファラウェイ・ソー・クロース!」のホルスト・ブッフホルツほか。
あらすじ:
1937年、イタリアはトスカーナ地方の小さな町アレッツォ。本屋を開く志を抱いてやってきたユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は美しい小学校教師ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)と運命的な出会いをする。当座の生活のため叔父ジオ(ジュスティーノ・ドゥラーノ)の紹介でホテルのボーイになり、なぞなぞに取り憑かれたドイツ人医師レッシング(ホルスト・ブッフホルツ)らと交流したりしながら、ドーラの前に常に何度も思いもかけないやり方で登場。ドーラは町の役人と婚約していたが、抜群の機転とおかしさ一杯のグイドにたちまち心を奪われてしまった。ホテルで行われた婚約パーティで、グイドはドーラを大胆にも連れ去り、ふたりは晴れて結ばれた。息子ジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)にも恵まれ、幸せな日々だったが、時はムッソリーニによるファシズム政権下。ユダヤ人迫害の嵐は小さなこの町にも吹き荒れ、ある日、ドーラが自分の母親(マリザ・パレデス)を食事に呼ぶため外に出たすきに、グイドとジョズエは叔父ジオと共に強制収容所に連行された。ドーラも迷わず後を追い、自分から収容所行きの列車に乗り込んだ。さて、絶望と死の恐怖たちこめる収容所で、グイドは幼いジョズエをおびえさせまいと必死の嘘をつく。収容所生活はジョズエがお気に入りの戦車を得るためまでのゲームなのだと。とにかく生き抜いて“得点”を稼げば、戦車がもらえるのだとグイドはことあるごとに吹き込み続けた。強制労働の合間を縫って、女性の収容所に押し込められたドーラを励まそうと、放送室にしのびこんで妻に呼びかけたりと、グイドの涙ぐましい努力は続く。そんなある日、グイドは軍医として収容所にやってきたあのなぞなぞ好きの医師レッシングと偶然再会。レッシングから「重要な話がある」と耳打ちされたグイド。ドイツ軍の士官たちのパーティの給仕を命じられた彼は、監視の目を盗んでレッシングに話しかけるが、なんとレッシングは新たななぞなぞの答えをグイドに聞いただけだった。戦況は進み、収容所は撤退準備をはじめる。この機を逃さじとグイドはジョズエをひそかに隠して、ドーラを捜すうちに兵士につかまった。グイドはジョズエの隠れ場所を通るとき、おどけて行進ポーズをとる。それが彼の最後の姿だった。ドイツ兵が去った後、外へ出たジョズエは進駐してきたアメリカ軍の戦車を見て歓声をあげる。戦車に乗せられたジョズエは生きていたドーラを見つけ、母子は抱き合った。これが幼い息子を生きながらえさせようとした父親の命がけの嘘がもたらした奇跡の物語だ。