リリアナ・セグレの「アウシュヴィッツ生還者からあなたへ」(岩波ブックレットNo.1054)を読みました。副題には「14歳、私は生きる道を選んだ」とあります。
この中で、ナチス・ドイツによるユダヤ系イタリア人の迫害を題材にしたロベルト・ベニーニ監督・主演の映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を、「絵空事で、事実を伝えていない」という批判については、明日のブログに書きます。
全イタリアの尊敬を集める
90歳の「語り部」、
そのラストメッセージ
感動をよんだ「最後の証言」をインタビューとともに収録
1944年1月、アウシュヴィッツに送られた少女は、死の収容所での壮絶な日々とドイツへの数百キロに及ぶ「死を奇跡的に生きのびる。戦後、長い沈黙を経て、30年にわたり自らの体験を語り続けた。90歳を迎え、活動に幕を下ろした年に行った最終講演は、イタリア全土に生中継され、同世代から若者まで、多くの人が耳を傾けた。この貴重な証言を、訳者による単独インタビューとともに収録。そこには差別、憎悪、文壇、そして無関心がはびこる現代への警告と、未来への一筋の希望が見える。
左:父アルベルトさんの腕に抱かれる幼いころのセグレさん。右:アウシュヴィッツ収容所に送られる直前。13歳のセグレさん
「ドイツによるヨーロッパの侵略状況=1941年6月頃」(セグレさんが連行された44年1月時点では、ローマから北のイタリアもドイツ占領下にあった)①アウシュヴィッツへの移送経路 ②「死の行進」の道程 アウシュヴィッツ生還者からあなたへ14歳、私は生きる道を選んだリリアナ・セグレ、中村秀明訳岩波ブックレットNo.10542012年11月5日第1刷発行 目次1 <最後の証言>私は生きる道を選んだ <コラム>父アルベルトさんの「つまずきの石」2 <インタビュー>なぜ私は証言を続けたか 聞き手:中村秀明3 <ルポ>ロンディネ村に「平和の砦」を訪ねて 中村秀明 リリアナ・セグレ:1930年9月10日、ミラノのユダヤ系イタリア人家庭に生まれる。ナチス占領下で父とともに亡命を試みるも捕らえられ、1944年1月にアウシュヴィッツに送られる。ドイツへの「死の行進」を経験した後、1945年5月1日にドイツ北部で解放された。戦後、長く沈黙を続けたが、60歳から証言活動を開始。これらの活動が社会にもたらした功績によって、2018年に大統領任命の終身上院議員となる。翌年、海を越えてやってくる難民増加に伴い差別意識や憎悪に満ちた投稿、個人への抽象が溢れる現状を憂い、こうした行為を監視する組織の新設を提案。2020年、90歳を機に証言活動に幕を下ろした。 中村秀明:1958年生まれ。1981年に毎日新聞社入社。経済部記者、論説委員などを歴任。2018年秋に退職後、イタリアに渡り、ボローニヤ大学で哲学を学んでいる。