朝日新聞:2021年9月18日
ちょっと時間が経ってしまいましたが、朝日新聞9月18日に、平田オリザが読む「古典百名山」という記事に目がとまり、保存しておきました。
以前にも、太宰治の「津軽」が取り上げられていて、ブログにも書きました。
さっそく、井伏鱒二の「山椒魚」を文庫本で購入し読んでみました。併せてやはり井伏の代表作でもある「黒い雨」も購入しました。
井伏鱒二の「山椒魚・遥拝隊長 他七篇」(岩波文庫:1956年1月9日第1刷発行、1969年12月16日第15刷改版発行、2020年4月15日第64刷発行)を読みました。64刷なんて、ほとんど聞いたことがありません。6ページから15ページまでわずか10ページです。
独特のユーモアとペーソス。その底に光厳しき冷静な人間観察の眼。内外の文学を通じて比類にないユニークな作風をもって文壇に登場した井伏鱒二(1898-1993)の手記作品を中心とする短篇集。岩窟にまぎれこんだまま成長して出られなくなった「山椒魚」の悲喜劇、都会的哀愁の漂う「鯉」など、9篇を収めた。(解説:河上徹太郎)
「山椒魚」、井伏鱒二の代表作でもあるんですね。昔、文芸春秋刊の「現代日本文学館」で読んだ記憶があります。こちらは二段組わずか5ページです。
「現代日本文学館29 井伏鱒二」
昭和42年11月1日第1刷
著者:井伏鱒二
発行所:株式会社文藝春秋
「現代日本文学館」解説:安岡章太郎
ありていに言えば、井伏さんの作品には解説などいらない。誰が読んでも、読んだだけのことは、すぐに理解できるし、それが最も正しい読み方だといえる。と、同時に、このことは井伏さんの文学が、解説などというナマヤサシいものを容易に受け付けない性質であることを物語ってもいる。
たとえば「山椒魚」の場合、成長しすぎた魚は、そのまま山奥の渓流の岩屋のなかに閉じこめられてしまったまま、身動き一つならなくなってしまったではないか。「高度成長のヒズミ」などという流行語を持ち出してみるまでもなく、私たちは自分の身の廻りに、こうした心のままならぬ”成長”の痛ましい傷痕や、醜怪な姿を、存分に見せつけられているはずである。井伏さんによって私たちは成長が、むしろわれわれ生きものにとっての宿命であることも教えられるし、そこから私たちの美意識の伝統であるモノノアワレということが出て来る。
「山椒魚(小説)」ウィキペディア
一緒に購入した本
「黒い雨」
新潮文庫
昭和45年6月25日発行
平成15年5月30日61刷改版
令和3年5月20日88刷
著者:井伏鱒二
発行所:株式会社新潮社
一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。